7217 企画展「春陽会誕生100年 それぞれの闘い」

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春陽会誕生100年 それぞれの闘い
春陽会誕生100年 それぞれの闘い

「春陽会誕生100年 それぞれの闘い 岸田劉生、中川一政から岡鹿之助へ」を鑑賞。

春陽会という美術団体が、第1回展を開催したのが1923年ということで、今年で100年の節目の年だという。

当時、民間最大の美術団体だった日本美術院の洋画部を脱退した画家たちで構成された創立会員を中心に、新進気鋭の画家たちが加わって結成された。

…ということだが、鑑賞して色々感じるところがあった。

もしかすると自分の不勉強さに起因してわからないだけだったのかもしれないが、まず「それぞれの闘い」とあるが、どのあたりが“闘い”であったのかが、正直わからなかった。

また、春陽会に参加していた画家の経緯について触れていただけで、作品の具体的な紹介は一切ないので、いまいち作品についてわからないことが多くなってしまう。

しかも、数多くの画家が紹介されていることもあって、なんだか落ち着かないというか、次々と、紹介される作品の表面をなぞる感じになってしまったのは残念。

各地から、春陽会の作品を集めたということであれば、それぞれの作品そのものの解説がきっとあるはずだから、それも併せて紹介してくれたらよかったのに…と思った。

やっぱり麗子は強い
やっぱり麗子は強い
もうちょっと解説が欲しかった
もうちょっと解説が欲しかった
当然ながら写真撮影は不可なので、気になった作品をメモ書きする。

岸田劉生《童女飾髪之図》(1921年)は、やっぱり麗子だし、《籠中脂香》(1923年)も、雰囲気は麗子の絵そのものだ。

河野通勢《被服廠》(1923年)は、隣の《此度震災所見図(本所瓦町)》と制作された年を見ると、それが関東大震災の惨状を伝えているものだと分かる。

大澤鉦一郎《少女海水浴》(1932年)は、当時の海水浴の様子を表しているのか、みんな帽子をかぶってるのが興味深い。

小山敬三 《アルカンタラの橋》(1926年):これぞキュビズムで表現!という感じ。

椿貞雄 《朝子像》(1927年)はパンフレットにも掲載されていたが、実物の作品はより毛糸の柔らかさが表現されていた気がする。

木村荘八の永井荷風著「濹東綺譚」や、石井鶴三の吉川英治著「宮本武蔵」の挿絵などは、今でも本と一緒に目にすることがあるくらいだから、かなりの存在感がある。

石井鶴三のコメントとして、こんなことが書かれていて、まさにその通りになっている気がした。

文学から題材を得たとしても、決して、挿絵 は文学の附属物ではありません。 他の種類の絵画と同じく、絵画と同じく、絵画として、立派に独立した作物であります。 つまり、画家の創作であります。 <中略> 挿絵は、読者としての画家の心内に起った画的幻想のあらはれであって、之は画家の創作であって他の何者でもないと主張した事でした。[石井鶴三の文章より]

ちょっとびっくりしたのは、春陽会に、外国人であるアントニン・レーモンドも、画家として参加していたということだった。

最初、どこかで聞いたことがある名前だと思ったら、フランク・ロイド・ライトとともに来日した建築家だった。

さらに調べていたら、第二次世界大戦の際、焼夷弾の効果を検証する実験のため東京下町の木造家屋の設計をしたのは、日本をよく知るレーモンドだったという事実を知り、そういえば、以前自分が読んだ本の感想でも触れていて、なんだか複雑な思いがした。

岡鹿之助《窓》(1949年)は、額がま窓の役割を果たしている感じで描かれていておもしろい。岡鹿之助《魚》(1939年)とともに、ちょっと柔らかな雰囲気で、他の春陽会の作品とは違う感じ。

いろいろな作品を見られたのはおもしろかったが、もうちょっと詳しく知りたかったというところもあった。

Posted by ろん