ナパーム空爆史/ロバート・M・ニーア

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ナパーム空爆史
ロバート・M・ニーア、田口 俊樹(訳)
太田出版 (2016/3/1)

先日、アメリカの現職の大統領として初めて、オバマ大統領が、被爆地の広島を訪れた。

人類史上初めて原子爆弾が使われたせいか、日本における、原爆をはじめとする核兵器に対する関心は、非常に高い。

しかし…「日本人をもっとも多く殺した兵器」についての関心はどうだろうか?

それが「ナパーム弾」と呼ばれるものだ。

「ナパーム」といえば、枯葉剤とともに、ベトナム戦争を思い出す。

一方、東京大空襲をはじめ、日本における空襲で使われた爆弾といえば「焼夷弾」と呼ばれたのだが、実は同じものだった。

不勉強ながら、本書のサブタイトルの文字を読むまで、それらが”同じもの”だとは意識することはなかった。

自分だけでなく、ナパーム弾については、原爆などの核兵器に比べて、詳しく知られていないような気がする。

本書では、その誕生の経緯や、あまり知られていないエピソードなどを交え、ナパームの詳細を紹介している。

1940年から終戦までの5年間は、アメリカ軍と産業界、そして大学をはじめとした学問が結びつき、無尽蔵とも言える予算が投入され、原子爆弾、レーダー、バズーカ砲…など、さまざまな軍事関連プロジェクトが立ち上げられたという。

ナパーム弾も、こうしたプロジェクトのひとつだった。

実は、アメリカ陸軍は、当初、焼夷弾ではなく毒ガスの開発を推進していた。

しかし、ハーバード大学の有機化学の教授だった、ルイス・フィーザーは、”非人道的”な毒ガスではなく、焼夷弾の開発を進めるべきだとして、軍に対して働きかけ、1941年10月正式なプロジェクトとして、承認される。

そして、1942年7月4日、ハーバード大学のサッカー場で初めての実験が行われ、ついに、ナパーム弾が誕生する。

ナパーム=Napalmはナフテン酸(naphthenic acid)、パルミチン酸(Palmitic acid)のアルミニウム塩(Aluminum Salts)の略語で、石油類を混合してゼリー状にゲル化する増粘剤である「ナパーム剤」のことだ。

ナパームは、900~1300℃というきわめて高い温度で燃焼するが、親油性のゼリー状の物質という特徴から、少量でも長時間燃焼するとか、水をかけても消化は困難である上に、燃焼の際に大量の酸素が使われるため、着弾地点周辺を酸欠状態にしてしまうとか、製造方法が簡単なことから戦場でも製造できるといったメリットもある…といったことが、徐々に知られていくことになる。

初めてナパームが、実戦配備されたのは、1943年8月シチリア島侵攻作戦だった。

ただ、最初は爆弾ではなく火炎放射器として使われたが、大きな成果を上げたという。

このことからもわかるとおり、ナパームは、その特性から、さまざまな応用が利くのだ。

本書で紹介された、かなり興味深いエピソードが、「自爆コウモリ計画」だ。

冬眠状態でコウモリを移送し、攻撃目標地点近くで目覚めさせ、時限式の小型のナパーム弾を取り付けて自爆攻撃をさせる…

ペンシルベニア州の歯科医で発明家が思いついた、奇想天外な計画は、大規模な実験に移される。

1943年5月。

実験の直前、3000匹用意するはずが、手違いで150匹しか集まらなかったため、急遽別のところからコウモリを集めさせ、強制的に冬眠させた。

そしていざ実施に移すと、ほとんどのコウモリは目覚めなかったという。

コウモリたちは冬眠していたのではなく、ほとんどが死んでいたのだ。

その後行われた実験はほぼ成功したものの、さらなる実験が必要と実際にナパーム弾を取り付けた、6発のコウモリ爆弾が周囲に飛び去ってしまう。

起爆予定の15分後に次々爆発し、飛行場の格納庫と管理棟が炎上するという事故が起きる。

結果的にはコウモリ爆弾の有効性が証明され、小型爆弾100万発とコウモリの捕獲などの実施計画が整えられるが、なぜか突如中断された。

理由は不明だが、このバタバタを見ていたら、とても実戦では使えたものではなかっただろうが、こんなことが大まじめに考えられてしまうのは、それが「戦争」という、きわめて特殊な時代だったからだろう。

1944年末。

細部まで忠実に再現されたドイツと日本の家屋が建設される。

ドイツと日本で活躍した著名な建築家に設計させた家屋は、木材の含水率まで合わせ、家屋内の調度品も、ドイツと日本のものを取り寄せた。

畳も、日本から取り寄せ、不足分は畳工場をまでも作ったという。

そして、二階建て四軒長屋12棟、六軒のドイツ家屋が建設され、ナパーム弾の実験が行われる。

作られては破壊され…を繰り返し、3回の建て直されたそうだ。

それにしても、そこまで、

倫理性については検討していなかった「われわれがおこなっていた試験は建造物を対象にしたものであり、人間を対象にした試験は考えていなかった」(p.88)

その後、日本において、1945年の1年間で1万6500トン使われ、絶大な"効果"を発揮したナパーム弾は、まるで麻薬のように、その後の戦争で大量に使われるようになる。

朝鮮戦争の3年間に、日本で投下された量の2倍となる、3万2357トンが使われた。第二次世界大戦で使用した爆弾より、朝鮮戦争で使用した量の方が多いのだ。50万人の人口を誇った平壌のすべてを焼き尽くし、100万人を殺戮、残った建物はわずか2棟だったという。

そして…

ベトナム戦争では、1973年の終結までの10年間に、実に、38万8千トンのナパーム弾が使われたという。

日本の20倍以上だ。

誕生からわずか3年足らずで、日本を壊滅状態に追い詰み、朝鮮戦争、ベトナム戦争で、膨大な生命と財産を奪ったナパーム弾。

その残虐性から世界中の注目が集まり、ついには非人道的兵器として国際法上、使用禁止となった。

兵器によって世界が翻弄されるのは、核兵器だけではないのだ。

Posted by ろん