7243 特別企画展「日本画の棲み家」
特別企画展「日本画の棲み家」を鑑賞のため、泉屋博古館東京へ。
日本では、絵画鑑賞の主な場所は“床の間”…というと、なるほど、そういった見方もあるのか…とちょっと意外な感じがした。
今日は、ふつうの展覧会ではなく、床の間で鑑賞するようなイメージで…。
まずは、第1章 邸宅の日本画へ。
住友家第15代住友吉左衛門友純の本邸には床の間が10以上もあったという。
実際にその時代に飾られた日本画を紹介している。
望月玉泉《雪中蘆雁図》明治41年
ものすごく大きな屏風2隻に、飛び立つ雁、羽を休める雁、餌を探している雁など、さまざまな雁の姿を描いている。とても躍動感がある。
木島櫻谷《雪中梅花》1918年(大正7年)
枝に積もった雪のあいだに、梅の花が見え隠れしていて、厳しい寒さのなかに次の季節も感じられる。寒さの中で他の花に先駆けて花が開いて実をつける梅は吉祥(めでたい)の花とされているそうだ。
木島櫻谷《震威八荒図衝立》1916年(大正15年)
衝立に描かれているのは、松の幹にとまるクマワシ。眼光鋭く睨みつけている先は…なんと、衝立の裏の3羽の雀たちだった。衝立という構造から両面を使ったユニークな作品。
続いては「第2章 床映えする日本画」。
日本画家の川合玉堂は、床の間芸術は見る人が大衆ではなく「優れた国の士」 が見ることを標準にしなければならないと言っていたという。つまり見る人が理解できることが前提になっているということだろう。
だから描かれた内容の意味を知らないと恥ずかしいことになってしまう。
岸田劉生《四時競甘》1926年(大正15年)
一度にたくさんの実をつける果実は「子孫繁栄」、詳しくはわからないのだけど桃は「長寿延命」のいみがあって、この作品はそうした、ありがたい野菜や果物が描かれている。
そして、「第3章 「床の間芸術」を考える」へ。
大正時代以降、時代遅れの作品を揶揄する「床の間芸術」という言葉が登場したそうだ。
あれ?川合玉堂は、優れた人が見るものだと言ってなかったっけ? 当時は賛否両論あったようだ。
現在の若手芸術家に、あらためて現代における「床の間芸術」をイメージした作品を紹介している。
唯一写真撮影が可能となっていた。
それぞれの作家の考える”床の間芸術”が紹介されていたが、正直ちょっと難しいかな…と感じてしまった。