7364 久しぶりに松濤美術館へ
久しぶりに渋谷の松濤美術館へ行ってきた。
まず「2024 松濤美術館公募展」を鑑賞。
公募ということで、応募資格は渋谷区内在住・在勤・在学で高校生以上で、しかも、応募127点中98点が入選、うち13点が受賞だそうだから、“敷居”は低めな感じ。
渋谷にゆかりのある人たちによる応募だから、渋谷を描いた作品も多く、ちょっと意識して鑑賞してみた。
道玄坂を描いた作品はあったが、やはり渋谷を代表する風景だろう。
”ドコモタワー”は、新宿から見る風景にも思えるが、所在地の住所は渋谷区代々木だ。
渋谷とは関係ないけど、QRコードをモチーフにした作品があったので、読み取れるかと思ったら、読み取れなかった。
これで何かを表現していたら、おもしろかったのに…。
”風景”をテーマに、5つの章に分けられて、さまざまな作品が紹介されていた。
第1章自然の風景
第2章生活の風景
第3章 知っている(かもしれない)風景
第4章 近代化する風景
第5章 実在しない風景
こちらは、全作品が写真撮影不可なのは残念だが、第1章の解説がとても印象的だった。
社会思想研究者の内田芳明は、風景を「歴史的・文化的人間の 生と自然的・風土的生との一つの綜合、一つの結合として現象するもの」と定義したという。
風景は、自然と人為的なものなどが一つの全体として形成された 時に生まれるものであり、それが成立する土壌であり構成要素で ある自然や風土と、それを受けとる人間があってこそ、風景として 成立する一方で人間は、その風景に願望や希望、理想や喜び、 悲しみの面影を見出し、それに共感するのだ、と説明してるそうだ。
つまり、山や川や海があるだけでは「風景」とはならず、それを受け止める人間がいることで「風景」になる…という。
風景って、どんなところにもあるものだと無意識に考えてしまっていたが、それを見る人間がいて、初めて“風景”というものが成立するのだ。
言われてみてれば当たり前な気もしてくるが、なるほどと思った。
松涛美術館といえば、強く印象に残るのが、この吹き抜けだ。以前来たときは、特徴的な”ブリッジ”には出られなかったが、今日は特に制限もなく出ることができた。
ただ反対側に渡って通り抜けることはできないようだ。
どういった考えがあってこのような構造になっているんだろう…とか、この構造にするための工夫などがあるか…とか、いろいろ気になってくる。