7349 企画展「中平卓馬 火―氾濫」
東京国立近代美術館で開催中の「中平卓馬 火―氾濫」を鑑賞。
この企画展の紹介では「日本の写真を変えた、伝説的写真家」とあって、かなり影響の大きな写真家のようだったが、自分は知らなかった。
展示の前半は、1960年代後半から70年代前半にかけての作品が中心。
光化学スモッグの空に、車内が散らかった終電車、おそらく有楽町か新橋あたりのガード下のゴミ袋、走り抜ける野良犬など…
決して美しくない、むしろグロテスクであったり、不気味であったり…誰も撮らないような写真ばかりだ。
ふつうの人だったら目を背けたり、意識して見ない風景を捉えることで、その時代を写し出そうとしたのではないか…と思った。
その一方で、“真実を写し出す”写真の持つ問題も提起している。
沖縄返還協定批准阻止全島ゼネストで警察官を殺害したとして当時24歳の青年が、新聞に掲載された写真を証拠に起訴された。
中平は、写真では青年がそこにいたという断片的な事実しか語れないと主張していて、実際、青年に対する容疑は晴れて冤罪だったことがわかる。
写真家が「客観性という悪しき幻想」と、写真の持つ危険性を訴えているところは、現在にもじゅうぶん通じるものがあるだろう。
展示の順番が前後するが、印象的だったのは、朝日ジャーナルに掲載された写真とそのコメントだ。
重要なことはどこへ行ったかの確認であり、証拠としての記念写真だ
最終的で確実な証拠はスタンプだ。そのことによって旅は完成する
そしてまたしても写真をとりまくり安心を重ねる
次のスケジュールは……その間のプロセスはない
1972年の作品だが、現在にも通じるものがあると感じた。まず「旅の証拠としての記念写真」という点は、この写真が撮られた50年前とまったく変わっていない。
ただひとつ大きく変わったのは、当時はスタンプを押すことで完成した旅が、現在は「いいね!」をもらうことになったということだろう。
そのために、映える写真を撮りまくることになる。
50年前からその本質を見つけていた…ということだろうか。
鉄道車両が写っていると、つい気になってしまう。
さらに展示の順番が逆になるが、こちらの写真にはこんなコメントが書かれていた。
営業係数としては最古参の1号線が最高
新線は通勤時以外低率
おそらく1号線は銀座線を指しているようだが、“新線”はどこだろう?この時期に開通したのは東西線(1969年に中野~西船橋間全線開通)ということになるが、気になったのは、車内の吊り手(吊り革)だった。
これは、使わない時はバネで跳ね上がって、左右に揺れないリコ式というもので、古い車両にしか使われていないと思っていたが、東西線5000系の初期の車両には採用されていたみたいだ。
ガラガラの東西線なんて、隔世の感がある。
京都をテーマにした写真に、あえてテレビ画面に「ゲリラ事件」のテロップを入れてくるあたり、彼独特の世界観みたいなものを感じた。
そして、晩年のカラー写真の数々からは、どこか自分も撮ってしまいそうな構図があって、ふと親近感を覚えた。
彼の人となりは、さまざまな作品を通じて、なんとなく感じることができたが、ちょっと知りたかった気がするし、当時の時代背景をよく知っておいたほうが、より楽しめた気もした。