7172 特別展「日本画に挑んだ精鋭たち」

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特別展「日本画に挑んだ精鋭たち」
特別展「日本画に挑んだ精鋭たち」

山種美術館で開催中の特別展「日本画に挑んだ精鋭たち―菱田春草、上村松園、川端龍子から松尾敏男へ―」を鑑賞。江戸時代まで長らく武家政権の庇護のもとにあった日本画は、明治に入ってその在り方が問われることになる。

これまで培われてきた日本美術の伝統に西洋の表現を取り入れたり、美術団体を立ち上げたり、展覧会を催すなど、新しい試みを行う流れがあった。

そして、第二次世界大戦が終わると、ふたたび既存の日本画に対する価値観が社会的に問い直されることになり「日本画滅亡論」まで飛び出すようになった。

ここでも日本画家たちはさまざまな表現や技法の探究を重ねていく。

本展では、そうした明治時代から現代まで「日本画」の軌跡をたどっていく内容となっているようだ。

速水御舟《白芙蓉》1934年(昭和9年)
速水御舟《白芙蓉》1934年(昭和9年)

写真撮影可能な作品は1点だけだったなのは残念だが、印象に残る作品もいくつかあった。落合 朗風《エバ》1919年(大正8年)は、どこかのサイトでアンリ・ルソーが描いた《夢》 を思わせる…とあったが、まさにそんな感じだった。エバ…ってイブのこと?日本画とは思えないモチーフと大胆な構図に圧倒される。

川端龍子《鳴門》1929年(昭和4年) は、横幅8mを越える超大作で、本展のポスターやパンフレットなどでも採用されているが、見るからに涼しげで、高価な群青の岩絵具を約3.6kg使用したという、濃い青は冷たさすら感じた。ただ、この作品を描いた当時、本人は鳴門を見たことがなかったというのが、なんとも興味深い。

高山辰雄《坐す人》1972年(昭和47年)は、最初ぼんやりとしていて、薄暗くぼんやりとしてて、何の絵なのかわからなかった。タイトルを見て、座ってる人がいるのかな…と思って、引いて見てみたら、修行僧みたいな人がいて、ちょっとびっくりした。そして、じっと見てみると、どんどんと”圧”を感じるようになった。

日本画に対する作家の考えを紹介していたが、高山辰雄は先述のされていたが、日本画滅亡論については、こんな感じで述べていたようだ。

(前略)
私は、終わりだろうと始まりだろうと、自分 の絵をやっていればいいと思っていました。それで私 の絵が倒れるなら倒れればいい。そんな考えでした。

だから私の場合、日本滅亡に怒りを覚えたり、 心を悩ませたりということは全然ありませんでした。 自分が決めたことをやって、最後まで自分の旅をあ げていれば良い。最終的に日本画が滅びるのだとし ても、それは自分が決めることではない。ともかく、 これまでやってきたことをやり通そうと思ってい だけです。

自分の道を歩く以外、私は何もできないと思う。

振り回されることなく、自分の信じた日本画を描き続けることによって、こうした、素晴らしい作品が生み出されているのだろうと思った。

明治維新後と昭和の大戦後にそれぞれ大きな波が押し寄せたことになるけど、そうした大きな波を受けることで、さらに日本画が進化を遂げたのかなとも思う。

観賞後・・・

展示作品をイメージした和菓子
展示作品をイメージした和菓子

川端龍子の鳴門と、上村松園の牡丹雪をイメージした和菓子をいただく。

こちらはどちらも当然ながら写真撮影”可”だ。美味しくいただきました。

「波濤」~川端龍子《鳴門》をイメージ
「波濤」~川端龍子《鳴門》をイメージ
「雪の中」~上村松園《牡丹雪》をイメージ
「雪の中」~上村松園《牡丹雪》をイメージ