7061 鳩の街から玉ノ井へ
旅行先で、かつて赤線だった場所を見に行ったことは何度かあるが、わざわざ遠くに行かずとも、身近にもそうした場所がいくつもある。
たぶん、身近でいつでも行けると、つい思ってしまっていたのだろう。
ふと、失われてしまう前に見に行っておこう…と思い立ち、大型連休初日の早朝に行ってみることにした。
まず向かった場所は、東武スカイツリーライン(伊勢崎線)曳舟駅だ。

商店街と言っても、住宅も多くお店の数はそれほど多くない感じ。
もっとも朝まだ早いので、ほとんどの店が閉まっている。
そんななか、お弁当を、なんと350円で売っているお店もあって衝撃だった。
ふつうに歩いているだけでは、この付近が、特別な歴史を持っているとはとても思えない、ごくありふれた商店街だし、ありふれた住宅街といった感じだ。

この付近を調べたブログなどを頼りに、ようやく1軒の建物を見つける。
こうした建物は、事前にブログやストリートビューなどである程度、”あたり”をつけておく必要はあるが、わずかな期間でも取り壊されて、周囲の雰囲気も変わってしまい、実際に来てみるまで分からないことが多い。
こちらの建物は、特徴ある美しい青いタイルの円柱がしっかり残されていて嬉しくなった。

このあたりをしばらく歩いて気が付いたのは、いかにも取り壊されたばかりといった感じの空き地や、まさにこれから建物が作られようとしている準備が進んでいる空き地がかなりあったということだ。
そう考えると、つい最近まで、貴重とも言える赤線時代の建物があった可能性が高かったわけで、思いつくのが遅かったんだと実感させられる。
狭い路地を行ったり来たりしていると、遺構を見つけることができた。

庇の部分い赤茶色のタイルが張られ、正面にはモルタルの柱、窓の格子は節を残した木が使われていて洒落ている。
その向かいも見事な曲線を描く特徴的な建物だった。ただ道幅が狭いので建物全体の写真が撮れない…。
時間が経ち、由来がわからない建物は多い。
もう少し時間をかけて観察してみると気づくこともあるかもしれない。
カフェもあったので、日中散策するのも悪くなさそうだ。
鳩の街を後にして、玉ノ井へ。少し距離はあるが、曳舟駅に戻ってそこから東向島の駅に行っても、そこからまた歩くので、直接歩いて向かうことにした。
鳩の街には、吉川英治の旧住居跡の案内があったが、この付近は、多くの文人のゆかりの地でもある。
カタツムリのオブジェが置いてあったからなんだろうと見てみたら、かつてここには、幸田露伴が住んでいた「蝸牛庵」があったそうで、建物は博物館明治村に移築されているという。
住宅と言えば途中で気に飲み込まれそうになっていた家を見つける。慌てて?根元を切ったようだが、この木の成長によってパイプが歪んでいた。
鳩の街から20分ほど歩いて”玉ノ井”にやってきた。
地名としてはずいぶん前になくなっているが、あちこちにかつてあった地名を彷彿とさせるものがあった。

このあたりも有名な赤線地帯で、永井荷風がこのあたりを気に入って、小説「墨東綺譚」は、このあたりが舞台となっている。
荷風が玉ノ井を「迷宮」(ラビラント)と呼んでいたそうだ。
あぜ道がそのまま舗装されたのではないかと思わせる曲線を描く細い道が続くところも多かった。
”赤線”の全盛時代の夜にここを歩いたら、迷宮と呼んだ感じがわかるかもしれない。
ほとんど赤線時代の建物はほぼ全滅状態だった。
唯一残ってるのではないかと思うのが、こちらの建物。

円柱や塗装されているもののタイル張りであったことが伺える。
もうちょっとじっくり見たかったが、隣に住んでいると思われる男性が自分のことをじっと睨んでいたため、早々に退散した。
たしかに、見知らぬ人が他人の家の写真を撮っていたら、気にはなるだろう。
数分ほど歩いて東向島駅へ。
駅には(旧玉ノ井)と書かれていて、1987年(昭和62年)に現在の東向島駅に変わる前の名称が残っている。
東武博物館の最寄り駅で、見学したのはもう10年以上も前だから、また機会をあらためて来たい。
残念ながら赤線時代の建物はほとんど残っていない状態だったが、かろうじて見られたのはよかった。
もうちょと早く来るべきだったな…と悔やまれる一方、急な思い付かなければ、こういう機会はなかったわけで、それはそれで仕方ないし、来てよかったと思う。