6978 宇和島駅
1月の夜、東京国立近代美術館に立ち寄っていたのだけど、紹介するタイミングが合わず、結局この企画展「大竹伸朗展」が、先日の日曜日で終了してしまった。
先日「大竹伸朗展」を鑑賞する前に見た記事が気になっていたことがあった。
ちょっと長いが引用する。
「このエリアは思い出深くって、(美術館の近隣にある)毎日新聞に社会科見学に来て、輪転機で新聞が刷られるのを見た。いま思えばそれが印刷のプロセスを見た最初だったかなと思う」
「《宇和島駅》は僕が拠点にしている場所のサインなんですけど、近美(東京国立近代美術館)とのつながりがあって。1980年代半ばに近美に妻と来た思い出があるんです。当時はエレベータ脇の壁が窓になっていて、彼女が窓の外をじっと見ているので「どうしたの」と聞いたら、「いま高速を『宇和島』って書いてあるトラックが通りすぎた」ってね。それを聞いたとき、僕が高校を卒業してから牧場や炭鉱にいたときに、本を見て「銀座」とか「新宿」と書かれた文字を見たらけっこうグッと来てね。その頃の思い出を近美の窓辺で思い出した。
その後10年以上経ったのちに、宇和島駅が新しくなるということでこのサインを廃棄すると聞いて、駅舎の屋根に登って1文字ずつ焼き切ってロープで下ろし、保管した。どうにも廃棄というのが納得いかなくてね。色は僕が勝手に想像したものですが、夜見ていただけるとよりおすすめ。
今回、国立近代美術館と宇和島駅が交差する感じが、これもある種のコラージュなんじゃないかな、って。あれは“すでにそこにあるもの”の典型で、今回の7つのテーマが全部重なっているということに気がつきました」。
この記事で、美術館入口に掲げられている「宇和島駅」のサインを夜見るのがおすすめ…と、作者が言うのだから、これは見てみたいと思っていたが、わざわざ夜に来るというのは、よほど意識しないと難しいものだ。
何とかやってきたのは1月20日。
ありがちなのが、こういうときに限って”休館日”という事態だが、今回はこれは避けられた。
美術館周辺は、皇居を前にして都心にありながら、全体的にかなり暗い。
だから、怪しく浮かび上がる「宇和島駅」の文字はかなり目立つ。
ずっと点灯したままなのかと思ったら、ときどきすべて消灯したうえで、左から順に1文字ずつ点灯して、最後にすべての文字が点滅するようになっていた。
都心で”宇和島駅”というまったく別の駅名が表示されているというのは、頭でわかっていてもちょっと不思議な感覚。
大竹伸朗が”宇和島駅”だとしたら、自分に置き換えたら”川越駅”だろうか。
もしここに”川越駅”と書かれていたら、よりグッと来ただろうな。