5969 常磐線復旧区間を歩く(後編)
双葉駅に着き、駅からそれほど離れていない住宅地の裏には、いたるところに、黒いフレコンバッグが大量に置かれていた。
そして、周囲では、さまざまな工事があちこちで行われていた。
歩行者などまったくいないから、このまま行っても大丈夫かな…とちょっと不安を感じるところもあったが、なんとか海に出たいと言う思いで、スマホの地図を参考にどんどん歩いた。
工事のため回り道をするように…との看板があったのでその指示に従って歩くと、その先の工事関係者のお兄さんに、この先はかなりぬかるんで歩きにくいと言われた。
自分たちでも歩きにくいくらいだからお勧めしない…と。
アドバイスに従うことにして、同じ道を引き返す。
朝、いわきに着いたときは、4度あった気温が、いまは1度。
雨が降り続き、冷たい風も引き続きふき続けているため、スマホを持つ手が凍えてしまう。
部屋で洗濯物が干してあるのを見掛けた。
これも、9年前のままなのだろう。
あの時から、この地域のすべての時間が止められてしまったのだ。
すぐ脇の道路は、まだ立ち入り禁止の場所が広がっている。見た目はほとんど違いはないが…。
帰宅が許されていても、生活に必要な店や施設が皆無で、さらに自宅のすぐ裏に除染された土が大量に置かれていたら、とても帰る気にはならないだろう。
原発と共存してきた双葉町の象徴だった「原子力 明るい未来のエネルギー」の有名な看板は、この場所にあったようだ。
この標語を考えた当時の少年が、現在では脱原発運動をしているという。
双葉駅前も聖火リレーのコースとなっているが、そのすぐ近くですら、こんなありさまだ。
事故とその影響は、現在も続いているし、こんな光景がちっとも珍しくもない状況において‘復興‘という表現が、いかに不適切であるかということを痛感させられる。
予定よりもかなり早く双葉駅に戻ってきたので、反対側に行ってみる。
こちらの再開発はこれから始まるようだ。
付近には一切とどまれるような店も設備もなく、ベンチすらなかった。
しかもこの冷たい雨ときている。
品川からやってきた特急ひたちの姿を写真に撮ったりしたが、それでもこのまま立ってるのはつらい。
とりあえず、駅に戻ろう…。
駅に戻っても、腰を落ち着ける場所がない。
待合室などもない。
予定では富岡方面の上り列車に乗るつもりだったが、先にやってきた下り列車で、ふたたび浪江駅まで戻り、上り列車を待つことにした。
浪江から富岡に向かう。
列車は比較的混雑していて、座席に座れない人もいる中で、こういう座り方をするのは、多くの場合、老人だ。
富岡駅に到着。
ここは何度か降りて歩いたところなので、その後の変化などを見てみようと思ったものの、行程とダイヤの関係で、あまり滞在できず、17時を回って周囲が薄暗くなっていたので、しっかりと見ることができなかった。
それでも震災直後の様子をとどめていた廃屋などはだいぶ姿を消し、新しい建物が多く見られた。
しかし、住民と思われる人のすれ違うことは、ここでも皆無だった。
運航再開に合わせて走り始めた特急ひたちは、富岡駅にも停車する。
富岡から乗り換えなしで、東京まで戻ることができる。
終点の品川を目指す。
そして、今日最後の目的地、高輪ゲートウェイ駅に向かう。
今回の旅では、午前中観た映画と合わせて、考えが大きく変わったような気がした。