4318 初“美術館”詣はMOMATへ
今日は、東京国立近代美術館(MOMAT)の所蔵作品展「MOMATコレクション」などが無料で鑑賞できるということで、ちょっと出掛けてきた。
東京国立近代美術館は所蔵作品については、写真撮影が可能というのが嬉しい。
ちょっと気になった作品をメモ代わりに撮っておいて、あとから調べてみるなんてこともできる。
1890年(明治23年)に描かれた、原田直次郎 《騎龍観音》は、独特な構図に目を奪われる。
西洋絵画の技法を積極的に取り入れている。
架空の存在をリアルに表現するため陰影をはっきりさせ、龍のスケッチには、犬や鶏を用いたいう。
しかし…
「サーカスの綱渡り」のようだと不評だったそうだ。
作者の原田は失望して、護国寺に奉納してしまい、東京国立近代美術館にやってくるまで護国寺の本堂に掲げられていたという。
それが、いまでは、重要文化財に指定(2007年6月)された作品となっている。
対象の中に見出された偶然の形象を「チャンス・イメージ」というらしい。
たとえば、岩や壁などにできたしみが、風景とか人の顔に見えてしまう…みたいなことだ。
それをモチーフにした作品だとか…
無表情の女性や少女ばかりの作品しか見たことがなかったので、こういう絵も描くのか!と、ちょっとビックリ。
加山又造の作品を、かなり間近で見られた。どうやって描いただろうと思うくらいの描き込まれて感じだった。 この絵の前から、男性がずっと離れなかったのが印象的。
田中功起「一つのプロジェクト、七つの箱と行為、美術館にて」は、ひたすら段ボールを運んでは積み上げる映像。
ロケ地?は、ここ国立近代美術館であり、映像に登場する段ボールが、モニターの周囲に置かれている。
両手でしっかり運び出すばかりでなく、2階から放り投げたりすることもある。いずれにしても、ただただ段ボールが移動していくだけで、決して「結末が訪れない」ということを示唆しているのだろうか?
そもそも、しみというのは、何かがそこに物理的に接触した、決定的な証拠である。
模写をするということは似ていても、所詮、実物のニセモノである。
であれば、モノとその姿が確実に一致するしみをキャンバスに付けた。これで実物との確実な結びつきが保証される。
でも、実はこのしみはまったく同一…
シルクスクリーンの技法で同じ版で2回刷られたものだという。
つまり、実物の結びつきを保証するはずだった、しみが、じつはそうでもないのだということを示しているという、“どんでんがえし”がある。
今年は、寒かったので(笑)、七福神には行かずに、美術館でちょっと過ごしたのだけど、こういう時間も悪くない。
楽しかった。
無料だったし…。