3902 「〈遊ぶ〉シュルレアリスム展」を鑑賞
朝から雨が降ったり止んだりの今日、新宿へ向かった。
着いた場所は、損保ジャパン本社ビルの東郷青児美術館。
今日まで開催していた、「〈遊ぶ〉シュルレアリスム展」の鑑賞のためだ。
“シュルレアリスム”というと、どこかちょっと取っつきにくいという印象があるが、果たしてどうなんだろう?
美術館は超高層ビルの42階にあるので、曇ってるとはいえ、見晴らしはいい。
まず、最初の展示室は、シュルレアリスムの誕生から。
シュルレアリスムのリーダーともいえるアンドレ・ブルトンら数人で行った実験、「甘美な死骸」という作品は、とてもわかりやすかった。
いわば“言葉遊び”で、偶然できたフレーズ「甘美な」「死骸が」「新しい」「ワインを」「飲むだろう」という言葉からできあがったものだ。まさに、この展覧会でいう“遊び”の要素そのもの。
シュルレアリスムには、こうした遊びや偶然性を持ち合わせていることがわかる。
そして、展示は次の展示室へ…。
シュルレアリスムの基本には、オブジェの表現と思想があったという。
オブジェとは、“物”のこと。 用途も機能、役割を持たず、ときには意味すらない物を指す。
マルセル・デュシャンのレディメイド「泉」という作品が例に挙げられていたが、これは、男性用便器に、題名と署名入れただけのもの。
これを展覧会に持ち込まれたとたん、本来の用途から解き放たれ、オブジェになるというのだ。
なるほど、おもしろい!
コラージュについて扱った展示室もも、考えさせられた。
そもそも、コラージュとは、「糊で貼ること」を意味するフランス語だ。
たがいに無関係なものどおしが、ひとつの平面上で、思いがけない出会いをすること。それは偶然のたわむれ(=遊び)でもあり、驚異と不思議の体験でもあり、ときには運命的な出来事でもあります(p.50)
コラージュの作品をいくつか見ていたら、ふと既視感を覚えた。
それは、東日本大震災で津波によって被災した地域の光景と重なったのだ。
“超”現実として、芸術であったはずの世界が、現実の目の前に広がってしまった恐ろしさ。胸が締め付けられるような思いがした。
シュルレアリスムにもっとも影響を与えた作家として、サルバドール・ダリとルネ・マグリットが紹介されていたが、その対比の説明が、すごく印象的だったのでメモ。
ルネ マグリット
・透視 錯視
・一歩引いて絵を考える
・乾燥と冷却
サルバドール・ダリ
・凝視
・もろに絵を描く
・粘着と凝固
ちなみに、ルネ マグリットは、彼の名前を知らない中学か高校生のころ、新聞に彼の作品が載っていて、なぜかその絵がとても気に入り、切り抜いてずっと取っておいた思い出がある。
前述の、マルセル・デュシャンのレディメイド「泉」のように、自分で作った作品を展示する台もあった。
どんなものでも、そこのタイトルを付ければ、それだけでオブジェとなるのだ。
僕はもちろんダミーを置かせてもらった。
この写真を撮ったあとで、タイトルを失敗したことに気がつく。
現在がダミーなわけで、それに同じタイトルを付けては意味が無い! 置かれた便器に「便器」というタイトルを付けたら、ただの便器になってしまうではないか。
小さな子供たち向けのワークショップなどもあり、思ったより楽しめた。
あり得ないようなことが、目の前にあったとき、人は自分の持ってる“常識”と照らし合わせ、理解しようと必死になる。
そのプロセスを楽しむのが、シュルレアリスムなのかな…と思った。
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