7003 企画展「横尾龍彦 瞑想の彼方」

博物館・展覧会,芸術・デザイン

神奈川県立近代美術館葉山へ
神奈川県立近代美術館葉山へ

たまたま手に取ったチラシで、まるで海のなかを描きこんでいるような不思議な作品が気になったおじゃこが、ぜひ観てみたいというリクエストを受け、はるばる神奈川県葉山町までやってきた。

神奈川県立近代美術館葉山館で開催中の企画展「横尾龍彦 瞑想の彼方」を鑑賞。

当然ながら?まったく知らなかったが、横尾龍彦は、日本とドイツを拠点にして活動した芸術家で、聖書や神話に着想を得た幻想画は高く評価されたという。
ほぼすべてが撮影可能!
ほぼすべてが撮影可能!

抽象的な画風は、なかなか興味が持てないが、まるで夢のなかを覗き込んでいるような雰囲気はかなり独特。

40代のころ、つねに幻覚や苛まれていたというから、描かれているのは、彼が実際に“目にしたり”、“体験したこと”なのだろうか。

作品を、よくよく見ると、いろいろなものが描きこまれていることがわかるが、作者がどういった意図で描いたのかは、まったくわからない。
《教会》
《教会》
《エゼキエルの幻視》
《エゼキエルの幻視》
画風ががらりと変わる
画風ががらりと変わる

そして、さらに興味深いのは、画風がガラリと変わっていくところだ。今回鑑賞しにきたきっかけになった作品は、ヨーロッパでよく見られる祭壇画をイメージしたようだが、よくよく見ると、何が描かれているのかさっぱりわからない。

《VisionII》
《VisionII》

横尾龍彦がかつての自身の展覧会のリーフレットに以下のようなことを書いている。

「見る」とは肉眼でものを観察することではなく、内なるまなざしによって捉えることを意味する。われわれ人間は、奥底まですべて見通すことはできない。画家はイメージの混沌のなかに真実を探すのだ。
外から見るだけでは、ものに内在する神秘を見ることはできない。

画風がさらに変わる
画風がさらに変わる

僕がさっぱりわからないと言っているのは、つまり内なるまなざしで見ていないからなのかもしれない。

それでも、このあたりの画風までは、なんとなくわかった気がするが、そのあとの画風の変化は、完全に“置いてきぼり”になってしまう。

最後は、ほとんど偶然に任せているような作品になっていく。

作品制作を公開するパフォーマンスを各地で行なっていたようで、その風景が数分間のビデオで紹介されていた。

小躍りしながら、絵の具をぶちまけたり、色のついた粉を撒いたり、棒のようなもので突いたりしていた。

こうなってくると、もう作品の解釈には限界を感じずにはいられない。

《風神》
《風神》
《樹》
《樹》
見る人が見ればわかるのかもしれないけど、自分にはさっぱり…といった感じになってしまっていた。

今回、ここ神奈川県立近代美術館葉山で企画展が開催されたのは、かつて逗子で暮らしていたことが縁ということだが、他に少年期を過ごした福岡県北九州市、そして…なんとアトリエを構えた秩父市のある埼玉県でも、巡回展が行われるらしい。

わざわざ電車とバスを乗り継いで、かなりの時間を掛けてやってきてしまったが、埼玉県立近代美術館でも開催するらしいと知ってちょっと悔しい気がしてしまった。

Posted by ろん