2174 大船観音
いつも顔をちょこっと覗かせる |
東海道線や横須賀線を利用して、大船付近を走っていると、車窓から見えるのが、この観音様のお顔。
この観音様、実は「胴体はない」と知った時には、「なるほどそういう手があったか!」…と、ちょっとびっくりした。
山の上からちょこっとだけ顔を覗かせている観音様は、まるでこの街を見守ってくれているかのようだ。胴体まで作らなくても十分な存在感がある。
大船はどうしても通過するだけだったが、今日は初めて観音様の前まで行ってみることができた。
竹林の間の坂を上り… |
ちょっと開けたところを過ぎ… |
急な坂を上がって、拝観料を支払う。
そういえば坂を上り始めてから、ずっと観音様の姿はまったく見えない。入口の門から少し回り込んで、階段のたもとまでやってきた。
長い階段の先に、ようやく観音様のお顔が見えてきた。
ものすごい大きいはずなのに、なぜか巨大さを感じさせず、とてもやさしい表情だった。
観音様の中に入ることもできるようになっていて、建設時の貴重な写真を見ることができる。
この観音様、実はずいぶん古くからあったようだ。第一次世界大戦後の不安定な社会情勢を憂い国民の平安を願って観音様が作られることに。
昭和9年(1934年)には、ある程度できあがったものの、社会はますます不安定な時代に突入。日中戦争、太平洋戦争、戦後の混乱で、資金不足、資材不足となり、その後20年以上も放置されてしまう。
そのときの写真は、なんとも痛々しいものだった。
昭和32年(1957年)になって修復の気運が高まり、昭和35年(1960年)に完成したのが、いまの観音様という。
数奇な運命をたどってきた観音様。その表情からはそんなことをみじんも感じさせない。
そういえば、偉大な人であればあるほど、自身が苦労してきたことを周囲にひけらかすことはあまりない。それがあたかも当然というか必然であったかのように、自分のこととして受け入れているように思える。僕なんか、いかに苦労したか、大変だったかを蕩々と語ってしまうだろうなぁ。
観音様を見ながら、そんなことを思ってしまった。