6911 大竹伸朗展

博物館・展覧会,芸術・デザイン

東京国立近代美術館で開催中の企画展「大竹伸朗展」を鑑賞。

会員向けの招待券のおかげで鑑賞できたが、そうでなければ、なかなか足を運ぶことはなかったかもしれない。

まず大竹伸朗のことをよく知らなかったが、調べてみると、ずいぶん前に彼の作品に出会っていることがわかった。

瀬戸内海に浮かぶ直島で、“直島銭湯「I♥湯」”という作品…というか建物のデザインが、彼の手によるものだった。

いまから思い出しても、なんとも掴みどころのない、それこそいろいろなものが“てんこ盛り”だったのはよく覚えている。

外からもう展示が始まっている
外からもう展示が始まっている
穏やかに始まるが…
穏やかに始まるが…

 

今回の企画展は、そうした“てんこ盛り”どころではなく、“スーパーメガ盛り”と言っても過言ではないくらいの、ボリューム感だった。

いちおう「自 / 他」「記憶」「時間」「移行」「夢 / 網膜」「層」「音」といったテーマに分類され、ところ狭しと作品が紹介されている。

理解を超越するインスタレーション
理解を超越するインスタレーション
あちこちにあるニューシャネル
あちこちにあるニューシャネル

 

ここにもニューシャネル
ここにもニューシャネル

その数は、実に約500点。

それに、ひとりのアーティストから生み出されたとは信じられないような、さまざまな表現方法、そしてその制作量に驚く。

後で出てくるが、本のように作られた作品は、見開きで展示されていてその目にしている部分も、さまざまな内容が盛り込まれているが、驚くのは、通常なら開かれることがない他のページにも、おそらくすべて何かが描きこまれているということだった。

数だけでなく、一つ一つの作品に膨大な手間がかかっていることがわかる。

一つ一つの作品にタイトルや解説がないので、目の前に存在する作品だけで、その“意味”を感じ取らなければならない。

ただ、いくら見ても、どう受け取ったらいいのかわからない作品ばかりなのだ。

何のために存在したり、どういった意味で描かれたのか、なぜモチーフとして選ばれたの…など、観ているとだんだんわからなくなってくる。

理解しようとしてはいけないのかも…
理解しようとしてはいけないのかも…
あまりの膨大な制作量に圧倒
あまりの膨大な制作量に圧倒

 

たぶんふだんの“常識的な”思考回路で観ちゃダメなのだろう。

頭のなかを“無”にして、いま自分の目の前にあるものを、ただ受け止めて、“感じ取れば”いい…ということなのかもしれない。

一転して落ち着いた作品も…
一転して落ち着いた作品も…
音楽活動もしてるみたい
音楽活動もしてるみたい
 
 
 
 
自ら足を運ぶことがなさそうな企画展だっただけに、とても新鮮に感じられた。

作品のあちこちに「ニューシャネル」の文字があったのも印象的だった。

そしてここにもニューシャネル
そしてここにもニューシャネル

ニューシャネルの詳しい素性はわからなかったが、おそらくは、どこかに実在していたスナックなどから”拝借”したものだろう。

企画展のエントランスに、作品の関連グッズの販売があったが、やはり「ニューシャネル」が描かれたものが多かった。

さすがに”感じる”だけでは、グッズにすることはできないから、”理解できる”不思議なアイコンとして「ニューシャネル」が使われているのかもしれない。

たしかに、このネーミングといい、独特のフォントといい、妙に惹かれるものがある。

Posted by ろん