5972 朝日新聞批判に対する違和感
「戦争でもないのに超大国の大統領が恐れ慄(おのの)く。新コロナウイルスは、ある意味で痛快な存在かもしれない」と、Twitterに投稿し批判を浴びたという話。
投稿したのは朝日新聞の解説委員だと聞いて、さもありなんと思った。
どうしてこういう言い方しかできなんだろう…と誰もが思うだろうが、言ってしまう本人は、心からそう思っていたに違いない。
批判を浴びて、本人がアカウントごと削除したというが、きっと不本意ながら。
とにかく、政治家に一泡吹かせたくて仕方がないのだ。
特にこうした問題が朝日新聞で表面化するたび、同紙に批判的な人たちが飛びつく。
だから、こういうことになる。
朝日新聞広報、小滝ちひろ記者の件で謝罪する→一方で常磐線再開の写真から漂う朝日新聞らしさ・・・・
常磐線運転再開を喜ぶ沿線住民の声を取り上げず、帰宅困難区域であることを主題として取り上げるのが、朝日新聞らしい…という。
たしかに、前述の“痛快”と言ってしまうような朝日新聞における問題はいろいろあるし、批判されて当然と思うようなことばかりだ。
でも、今回、この報道内容がむしろ適切だと思ったのは、もちろん先日その現場を見てきたからだ。
たしかに、常磐線の全線運行再開は喜ばしいけど、決してそれだけではないし、ましてや聖火リレーによって、その事実を覆い隠すようなことがあっては決してならない…と思った。
まさに「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」みたいな感じで、何を報道してももうまともに受け取られないのかもしれない。