[社会の窓]歪な光景
昨日、常磐線の復旧区間を歩いてみて、あらためて、復興という言葉の意味を考えさせられた。
まだ途中であることはよくわかっている。
しかし、歩いてみて実感したのは、今の段階での“復興”という言葉が、あまりにもしっくりこないということだった。
避難指示が解除されたばかりで、街に誰もいない状況は、とても“復興”とは程遠い。
“復興五輪”と呼ぶ東京オリンピックの聖火がこの街を通ることになっている。
しかし、新型コロナウイルスの影響で、オリンピックの開催が危ぶまれ、またもや、自然の脅威と、対応が後手後手に回る為政者と、それに振り回される人々の姿は、震災と原発事故のときと重なる。
とても復興したとは思えない廃墟と化した街のなかを、除染した土を運ぶトラックへの聖火の告知、どう考えてもその開催自体が危ういのに、いまだに予定通りだと言い切る政治家や主催者…
こんな歪(いびつ)な光景はあるだろうか?