3250 結論の出ない原発の問題(震災95日目)
渋谷にある、東京電力のPR施設である電力館が、閉館になるというニュースを見た。
リニューアルオープン直前だったそうだ。
駅からハイキングで何気なく訪れたのが最後だった。
それにしても、3月11日の巨大地震とそれが引き起こした津波が、こういった形で影響を及ぼすとは思いもよらなかった。
東北地方では、広範囲に甚大な被害があって、まだまだ支援が必要だし、関心も持ち続けなければならないのに、その手前に位置する、福島第一原子力発電所の事故が収束しないことによって、まるで関心を堰き止めるかのような気がしてしまう。
一刻も早く問題を収束してほしいが、まだまだ続いてしまいそうな状況だ。
イタリアでは、原発の再開を問う国民投票の結果、“脱原発”が明確に国民の意思として示された。ドイツでも、2022年までに現在稼働しているすべて原発を廃止し、“脱原発”が国の政策として進められているそうだ。
しかし、両国とも電気を輸入に頼っているし、その頼る先が総発電量の75%を原子力でまかなっているというフランスというのが皮肉だ。
自国で原発をなくしても、隣の国で原発による電気の供給をしてもらうというのは、やっぱり健全な感じはしない。
いま日本でも、脱原発で…という話が出ているが、日本は輸入はできないわけで、ドイツやイタリアのようなことにならない。
…たまたまなのだろうけど、この、イタリア、ドイツ、日本…という組み合わせというのは、旧枢軸国だなぁ…なんて思った。
閑話休題
脱原発するにしても、必要な電気はどうしたらいいのだろう?
このまますべての原発が止まって、暑い夏がやってくれば、必要な電力が足りない状態になることは間違いない。
自然エネルギーは、原発に代わるほどの発電ができるようになるまでには、まだまだ時間がかかる。
一瞬、暗かったり不便だったりしても、自分たちの生活さえ多少我慢すれば、無理して原発で電気を作らなくてもいいんじゃないの?…なんて思っていたが、立場が変われば、全く違った考えになる。
「日本で物づくり、限界超えた」
…という、トヨタ自動車副社長の言葉は、これをよく表している。円高や法人税といった問題もあるが、製造業にとって、電気の供給も、かなり重要な問題であることは間違いない。
そして、今後、韓国や中国が日本に取って代わる可能性がある。当然ながら、日本での雇用は失われていく。
それでも、脱原発と言い続けられるのか?
しかし、原発を維持していくというのは、とんでもないリスクを背負わなければならないことは、今回の出来事で否応なしに思い知らされたし、過酷な原発労働者の問題についても、見過ごせない。
議論を深めるにしても、重すぎるし、広すぎる。
すぐに答えが出せない。どうしたらいいんだ?