4680 南東北縦断(その6~岩手県陸前高田市)
レンタカーを借り、まずは、市内を通り抜けて、陸前高田へ向かう。
途中、気仙沼港に停泊する多数の漁船を見掛ける。
このあたりは津波のあとの火災が酷かったらしい。
このあたりもじっくり歩いてみたかったが、どこもかしこも、工事中で、車を止められそうな雰囲気でもなかったので、そのまま車を進めるしかなかった。



奇跡の一本松があるところまでは、ちょっと歩いて行くようだ。
周囲に何もないせいか、目標になるものもないために、行き方がちょっとわかりづらかった。

すぐのところか…と思ったら、意外と遠い。巨大なつり橋をくぐったその先に、一本松があった。

思ったより、大きく、存在感がある。
ここへ至るまでに、ようやく一本松の位置関係がわかってきた。松より海側に、ユースホステルだった建物があったために、この松が残ったということのようだ。

つり橋は、嵩上げのために土砂を運ぶためのベルトコンベアだった。
10トントラックなら9年かかるといわれた工程を1年半で終えたという。
すでに土砂を運び終え、大部分の解体を終えているが、つり橋部分は、来月から買いたいが始まるという。

道の駅「タピック45」は、震災遺構として、保存されることが決まってる。

崩落した建物内部は、外からも見ることができ、津波のすさまじさをまざまざと見せつけられる。
この建物を中心に、高田松原津波復興祈念公園として整備されることが決まっている。

タビック45の向かいに、「復興まちづくり情報館」がある。
陸前高田のかつての様子を捉えたパネルや、復興の計画、状況など、松原に残っていた被災松の根などが展示されていた。

一本松茶屋にあった和カフェtsuruya(つるや)で、お昼をいただく。
海鮮うどんは、早採りわかめがウリだそうで、実際、美味しかった。


陸前高田を離れる途中、目に入った建物が気になって、車を道路脇に止め、見てみた。
津波は、中学校の校舎の屋上を越えた高さまでやってきたのだ。
当時、全員避難して、 幸いにして、誰ひとり死者を出さなかったというのが、せめてもの救いだ。
気仙沼へ戻る。
