4675 南東北縦断(その2~常磐線相馬駅まで)
竜田駅を降りると、たくさんのマニアらしき男たちが次々とホームに降りたった。
結果的には、自分もその一人なのだけど、正直イヤな気分がした。
近親憎悪そのものなのかもしれない。
駅前には、日本テレビの中継車らしき車が止まっていた。
そこで目に入ったのが、「福島県核燃料税交付金施設」の文字だった。
こうした施設も原発があったおかげで作ることができたのだと思うと、ちょっと複雑な気持ちになる。
バス乗り場には、代行バスが1日2本走っていて、途中止まらずに直行することや、福島第1原子力発電所から20km圏内の帰還困難区域を通過すること、放射線のことなどについて書かれていた。
マニアたち…自分も含め…は、一通り周囲の写真を撮ったあと、バスに乗り込む。
竜田 9:35 発
常磐線 代行バス 原ノ町行き
車内はそれぞれ窓際に1人座るくらいの乗客。出発時は21人になった。
一番前の座席には、放射線量(空間線量)を記録する機械が置かれていた。
男性運転士1名と女性車掌(ガイド)1名が乗車。
途中ノンストップで、原ノ町に向かうことや、時刻表よりも早く到着する旨などを説明しているうちに、バスは、帰還困難区域へと入っていく。
どこを走っているかとか、車窓から見える景色などの紹介はないので、車窓に釘付けになってしまう。
信号機に「第二原子力発電所」の文字が見えると、右の車窓のずっと奥の方に、原発の煙突が見えてくる。
原発関連施設は、国道6号線からずっと離れていて、途中を木々で隔てられているので、詳細をうかがい知ることはできない。
目の前に見えてくる状態を目の当たりにして、事態の深刻さを実感することになる。
富岡町を通過する。
建物自体はしっかり建ってはいるので、遠目からはあまり深刻な感じがしないのだけど、よく見ると、外壁や内部はぼろぼろで、地震以来まったく手が入れられていないことがわかる。
そして、国道6号線に通じる道路という道路、側道、建物への出入口など、すべてがふさがれ、通り抜けるしかないようになっていた。
建物のない広がった土地には、真っ黒い袋…除染袋が積み重ねられていて、異様さが際立っている。
わずかにある信号機でバスが停車すると、そのすぐ脇で、ひとり黙々と除染している作業員の姿があった。
手前の町を宣伝する看板との対比がつらい。
道路上に空間放射線量を示す電光掲示があったが、3μSv(マイクロシーベルト)を超えていたのは、第1原発前だけだった。
それでも、 空間放射線量はかなり小さいと言えるほどだけど。
外見で不具合のなさそうな住宅も、窓を見ると、まったく手が入っていないことがわかる。
墓石も倒れっぱなしだし、見るものすべてに違和感を覚える世界だった。
ただ唯一、梅の花?が咲いているのが見えて、ここだけは事故前と変わらない光景なのかもなぁ…なんて思った。
バリケードには、警備員が立っているところと立っていないところがある。出入りがあるところに、警備員がいるのかな?
ことごとく店は閉店してるのだが、このローソンだけは営業していて、駐車場にはたくさんの車が止まっていた。
津波浸水区間を示す 道路の案内表示を見掛けたとき、地震と原発事故の影響ばかり気になっていたことに気がついた。
国道6号線を離れ、常磐線の線路が近づいてくると、原ノ町駅に到着する。
時刻表上は10時50分とあったが、実際には10時35分頃には、このバスの目的地である、原ノ町駅に着いてしまっていた。