2977 埋めることのできない溝、越えることのできない壁
自転車に乗っているとき、向こうから、携帯電話とかゲームの画面に夢中になって歩いてくる男がいた。
こちらは、相手の状況がよくわかるので、あらかじめ避けることはじゅうぶんにできる。しかし、なぜこちらが避けなければならないのか? それに、こういった歩き方をしていることは、とても危険であることを知らしめたい気分になってきた。
そこで、僕はある種の“威嚇”の意味を込めて、あえて真正面に近づいていく。
しかしこの男は気付かない。さらにギリギリにまで近づいてようやく、ハッと気付いたようだった。
「どうだ?液晶画面に夢中になって歩くと、どんなに危ないことか思い知ったか?」
この男が申し訳ないという表情をすれば、この作戦は成功であった。しかし、結果は違った。
イヤな予感がした。
ハッと気付いたこの男の顔が、申し訳ないという表情ではなく、「危ないじゃないか!」という迷惑そうな顔だったからだ。
つまり、この男にとっては、迷惑なのは僕の運転する自転車であって、おそらく彼自身の前方不注意は不問に付しているのだ。別に悪いことをしているわけではないのだから。
もし、直接注意したところで、事態は変わらないのかもしれない。自分が危険な目に遭うということが理解できないだろう。そもそも考え方が違うからだ。“思い知らせる”なんてことは、そう簡単にできるものではないのだろう。
もちろん、僕のやり方は正しくないというのもわかっている。でも、この男との間には、埋めることのできない溝、越えることのできない壁があることもわかった。