2740 豊後高田 昭和の町

旅行・見学・イベント

由布院が目的だった、今回の旅。

急遽の予定変更で、向かったのが、豊後高田 昭和の町だった。

ずいぶん前に、昭和をイメージした町おこしで、商店街全体を復活させた成功例として、紹介されたテレビを見たことがあったのを思い出したのだ。

豊後高田市(ぶんごたかだ)は、大分県国東半島の上の方にあって、九重“夢”大吊橋を出発して、2時間弱で到着。駐車料金を取られるかなと思ったが、普通乗用車は無料で止められた。

駐車場からは、ちょっと古めかしい蔵が見えたが、どこに行ったら目的の商店街に行けるのかが、ちょっとよく分からなかった。

この蔵には、「昭和ロマン蔵」と書かれ、どうやら、昭和の町の中心施設のようだったが、まずは商店街を歩いてみたかったので、こちらは後回しで、商店街へ。

商店街の入口は、ちょっと歩いた先にあった。

どうやら、昭和ロマン蔵の中を通っても行けるようだったが、脇道を歩いてしまった。

入口には、「駅通り商店街」と書かれていたが、たしか豊後高田には鉄道は通っていなかったはず。振り返ってみると、バスターミナルがあったが、どこか鉄道駅の雰囲気。

あとで調べてみると、1965年8月まで大分交通宇佐参宮線が走っていたらしい。

商店街を歩いていくと、店の中から気さくに声がかかる。

なにか売りつけられるんじゃないかと心配になるので、ふだん町を歩くとき、こうした声には、なかなか耳を傾けることはない。

でも、ここでは、あえてそういう声に答えると、より楽しめるかもしれない。初めのうちはぎこちないが、いろいろな話をしていると、だんだんとうち解けてくる感じがする。

お店の方も、売ることだけが目的ではなく、ただ話をするだけでもいいといった感じ。

でも、話に“乗せられて”、結局買ってしまったところもあった。

商店街に並ぶ建物は、ほとんどが昭和30年代までに建てられたものばかりらしく、いずれも現役で使われていて、当然ながら、“張りぼて感”は全くない。再開発が遅れたということを逆手に取ったという、“逆転の発想”には感心させられる。

昭和の町…というコンセプトのせいか、それとも平日の午後という時間帯のせいか、見かける人たちは、ほとんどが観光客ばかりで、年配の方が多い。

地元らしい人たちは、店頭以外では、あまり見かけられなかった。観光客がいなかったら、本当に寂れた商店街だっただろう。

多少の演出で古い雰囲気を出しているところもあれば、本当に古くなってうち捨てられたとしか思えないような店も混じっているのがおもしろい。

町全体が、“昭和”というアトラクションそのものなのだ。

各店がそれぞれの“お宝”を店頭に並べて展示している。いずれも、直接商売に結びつくわけではなく、あくまで昭和の町をもり立てようということでの取り組み。直接その店に用事がなくても、ふらっと店先をのぞき込むことになる。

昭和ロマン蔵にもどる。

昭和ロマン蔵は、昭和の夢町三丁目館、駄菓子屋の夢博物館、昭和の絵本美術館、レストラン旬彩南館の4つの施設で構成されている。展示施設は無料で見学できる部分と、有料になっている部分とに分かれている。

コンセプトとなっている昭和30年代は、もちろん記憶にない遠い世界のことだが、抵抗なく、むしろ懐かしさを覚えるのは、僕が“昭和世代”の人間だからだろうか?

当時走っていた自動車やオート三輪、教室、駄菓子屋などは、誰でも自由に見学できる。当時の住宅や空き地などが、有料になっている。畳敷きの民家に上がり込むこともできる。

お台場のヴィーナスフォートのような、時間によって少しずつ空の色が変わり、時間の経過を感じることができるようになっている。

空き地には、ドラえもんでもおなじみの土管が置いてあり、中をのぞき込むと、これまたお約束のように、猫がいた。

隣の、駄菓子屋の夢博物館は、20万点ある収蔵品のうち5万点が展示されている。驚くことに、これらはすべて、個人ひとりで収集したというのだから、すごい。

博物館の前には、「金を使って全国回って“ゴミ”を集めてどうするの」と言われてきた…という、館長のコメントが印象的だった。この前大片付け大会で、古いモノも結構捨ててしまっていたから、ふと残念な気分にもなったが、彼のような確固たるポリシーがないまま、捨てないでいるとしたら、やはりゴミはゴミのままなのかもしれない…と思うようにした。

すーっと、ヘルメットをかぶった中学生が、自転車に乗って通り過ぎた。

こんなところまで、どこか“昭和”の雰囲気が残ってる…なんて、勝手にそんな気がした。

15時頃、豊後高田の町を後にする。

Posted by ろん