5416 ただの結果論
こんな記事を見つけた。
90歳、人生の先輩が断言「おカネの心配?するだけ無駄だったね」
要するに、お金の心配はムダだ…というお話。
でも、それをあえて「ムダだ」と言い切るような意見は、「あれ?」と気にはなるものの、たいていの場合、正面から受け止められないことが多い。
無理やり“逆張り”的な意見が言いたいだけの場合が少なくないからだ。
逆張りの意見を主張したいがために、都合の良い条件で語ろうとするから、まるで意味がないのだ。
例えば、この記事で登場する人は…
たとえば、うちは女房に実家があったから、修繕してそこに住んだので家賃が要らない。年金は同世代に比べればマイナスかもしれないが、家賃がないのはプラス。
70歳すぎまでタバコを吸っていたが止めた。タバコを吸うカネさえなくなったと否定的に考えるのではなく、カネがかからなくなったと思えば、これもプラス。
酒量も半分以下になって、これもカネがかからないからプラス。なんでもプラスに考えていくと、『なんだ、生きるのに大してカネはかからないじゃないか』という境地に達したんだよ」
田中さんは、マイナスをプラスに変える「発想の転換」で老後の危機を乗り切った。
妻の実家に住める人がどれくらいいるのか?
酒もタバコも、ただの嗜好品で無関係な人は自分も含めて多いはず…。
まぁ、いろいろな環境もあるし、こういう人もいる…ということでもいいかと思ったが、記事を読み進めてると、いよいよ、違和感を強く持つようになった。
長生きすると、カネがなくなって不幸になる。そう考える高齢者は多いが、実際のところ、食も細るし、広い家も必要なくなる。日々平穏に暮らしていく限りは、金銭的な心配をしなくとも生きていけるのだ。
(中略)
でも、カネのことはなんとでもなるもんだ。施設は毎月15万円かかるが、家賃も食事代も光熱費も全部込みでこの金額。これ以外には一切かからない。100歳まで十分に暮らして行けるよ。
(中略)
カネの心配なんかしなくても、老後は暮らしていける。人生の先輩たちの言葉を胸に刻もう。
この記事に抜けている重要な要素がある。
それは「健康」であることが大前提になっていることだ。
それが不安だから、お金の心配は欠かせないのではないのではないだろうか?
お金の心配はいらない…というのは、ただ逆張りしたいだけの「結果論」に過ぎないと思う。