4651 感動麻痺が生む悲劇
最近、特に小中高校で行われている、組み体操による事故が大きな問題になっている。
学校の「組体操事故」、4年連続で8000件超え
全国の小中高校で組み体操による事故が、日本スポーツ振興センター(JSC)に統計がある2011年度以降、4年連続で8000件を超えたことがわかった。(中略)脊椎や骨盤などの骨折は72件で、脳挫傷や内臓損傷などと合わせると、毎年80人以上が重いけがを負っている。
僕も小中学生のころ、組み体操をした記憶があるが、それほど大変だったという記憶はない。
記事によれば、組体操の巨大化も、事故の背景にあるらしく、いまは10段というとんでもない高さの組み体操が行われているらしい。
これほど危険だということがわかっていながら、組み体操が続けられるのは、いったいどういう理由があるのだろう。
肯定派の意見のなかから、印象的なものを見つけた。
少々長いが、引用する。
組体操には、関わっているものすべてを「感動」に包み込む力を持っています。そして、その「感動」は、深い信頼関係によりもたらされています。
大きなピラミッドにおいて、最も大きな負担のかかる子どもたちは、外からはその姿を見ることはできません。それでも、その子どもたちは、歯を食いしばりピラミッドの完成を願っています。そんな彼、彼女らを信頼しているからこそ、最後の1人は、勇気を出してピラミッドの頂上で両手を広げることができるのです。もちろん最初からそんな信頼関係が存在しているわけではありません。何度も失敗を重ねながら、何度も練習を積んでいくからこそ、その信頼がうまれていくのです。保護者たちも、子どもたちのその努力を知っているからこそ、感動してくれるのです。そして、私たち教員も、その過程を知っているからこそ、ピラミッドが完成したとき目に涙を浮かべるのです。
そんな「感動」こそが組体操の魅力であると思います。
コメントを読んで、なるほどなぁ…と思った。
これを述べた人は「子どもも観客も感動する! 「組体操」絶対成功の指導BOOK」という本の著者だ。
まず、感じたのは、昨今のテレビ番組と「同じ」ではないか?ということだった。
とにかく、感動に結びつけようとしている。
先日記事にした感動とはちょっと違うかもしれないが、ちょっとやちょっとの感動では満足できず、感動が麻痺して、もっと強い感動を求めてるような気がする。
そのためには、無理もするし、やらせだってする。
組体操から逃れられないのは、それと同じだと思う。
もちろん、感動も大事だとは思う。
けれど、それが、年間80件もの重大事故と引き替えにすることだろうか?
他に方法はないのだろうか?
子供たちは、避けられないのだから、大人たちがもっと配慮しなければ、ならないのは当然のはずなのに…。
感動の麻痺が、悲劇を生み続けている…というと、ちょっと大げさだろうか?