3990 これは愛称ではなく願望
先日、かなり久しぶりに乗った東武野田線で、ある意味ショッキングな発表があった。
今後、東武野田線のことを、東武アーバンパークラインと呼ぶという、この情報を見たとき、いったいどれくらいの人が好印象を持っただろうか?
もちろん慣れの問題もあるだろうが、僕には強い違和感を覚えた。
「当社沿線をはじめ首都圏の皆様により一層親しみを持っていただき、さらなるイメージアップを図ること」(東武鉄道)
東武野田線は、埼玉県さいたま市(大宮)から春日部市、千葉県柏市、船橋市を結ぶ全長40kmあまりの路線のなかで、あまり規模の大きくない都市名を冠した路線が、どうにも垢抜けないという感じは、たしかに否めない。
無関係とは思わないが、イメージは名前が作るものではないと思う。
名前に過剰な思いを込める、いわゆる“キラキラネーム”とか“DQNネーム”に似たものを感じてしまう。
記事にしようとしつつ、うっかり忘れてたのだが、東武伊勢崎線の一部区間に対して「東京スカイツリーライン」という愛称を付けたときも、強烈な違和感を覚えたのを、あらためて思い出した。
本当にそんな名前で呼ばれることになるのか?と思っていたら、実際に表記が変更され、交通情報などでもそう呼ばれるようになった。
しかし、ふだんの会話などで、そう呼ばれてるのは聞いたことがない。
鉄道路線に愛称を付けるのは、決して新しいことではなく事例は多い。
京浜線と東北線を走るから「京浜東北線」となってるし、かつて日本最長の路線だった東北本線の一部区間を「宇都宮線」としたのは、わかりやすい例だ。
また、「湘南新宿ライン」は、複数の路線に乗り入れる運行形態に加え、経由地をハッキリさせるという目的を果たす愛称だし、2015年3月に上野‐東京間に開通する東北縦貫線に対して、「上野東京ライン」という名称も理解できるし、多少の違和感はあるにしても、おそらく受け入れられるだろう。
あえて、そう呼ぶ、意味や合理性が感じられないからだ。“ノダセン”とたった4文字で言えたことを、わざわざ長く言いにくい名前で呼ぶだろうか?
おそらく、公的に呼ばれたり、表記されることはあっても、ほとんどの人から呼ばれることのない“愛称”になってしまいそうな気がする。
愛されない名前を付けられるほど、悲しいことはない。
願望だけで命名して欲しくないと思うのは、子どもの名前と同じだと思う。