3630 二十世紀を見つける松戸散策
久しぶりに東京都をちょっとだけはみ出して、千葉県松戸市へやってきた。
今日の駅からハイキングは、松戸駅から。

駅からちょっと離れたところから、すぐに住宅地が広がり、その間を縫うようにあまり広くない道路が通る。
で、その道路は渋滞…これまでも、何度となく見慣れたよくある風景だった。
しばらく歩くと、管制塔に見えた不思議な建物が、消防署の望楼(火の見櫓)だったことがわかった。

消防署からちょっと行ったところに、松戸南部市場があった。
一般の個人も買い物ができる卸売市場で、雰囲気は築地の場外市場みたいな感じ。

安くて、お買い得な商品がたくさんあったのだけど、まだ歩く始めたばかりで、商品(特に、生もの)をずっと持ち歩くわけにもいかないため、買うのを断念せざるを得なかったのは、ちょっと残念だった。


外観からして、その独特な雰囲気は、ちょっと近寄りがたい感じもするけど、一歩足を踏み入れてみると、懐かしいような、非日常空間のような体験ができる。
地元の建設会社会長が20年かけて集めたという3000点以上の昭和レトロアイテムを展示している。
今回は、屋内展示のある建物には入らず、屋外展示の品々を見学させてもらった。
その並びっぷりは、失礼ながら、一言で言えば、“雑多”な感じ。



日立電鉄からやってきた車両はなぜか、半分に切断されていた。
手前に置いてあった、車掌車は気になる。
インターネットで調べても、細かい情報は得られず、とりあえず、この車両がヨ5000形ということはわかった。

一方、クラシックカーが並ぶガレージは、しっかりと管理され、ちゃんとナンバープレートが付けられているところから、車検も通っていることがわかる。

たた、この展示も雑多で、展示車両の間に、特に意味もなく、トラクターが置かれていたり、並ぶ順番にも、こだわりがあるわけでもなさそうだった。
でも、ここはおもしろい。いろいろな発見ができそうだ。
雑多な感じが、まさに昭和なのか?

クラシックカーに並んで、馬?と思ったら、実は展示品は、この後ろの馬車だった。
天皇陛下の皇太子時代、牧場視察した際に使われた馬車だそうだ。
てっきり、馬の模型の展示かと誤解した。

昭和の杜をあとにして先を急ぐ。
今日は、指定されたルート通りを歩いているため、ふだんの駅からハイキングよりも、歩く距離が長い。
ルート上にあった“大橋”。どうしてこんな名前が付いた?というくらいの、橋だった。

二十世紀梨のふるさとは、ここ千葉県松戸市だ。
それを彷彿とさせる地名。

そして、二十世紀梨が誕生したところに、公園と記念碑があるということで、寄ってみた。
その名も二十世紀公園。
二十世紀梨は、1888年(明治21年)から1898年(明治31年)にかけて作られたとされるそうだ。最近は多品種に押され気味でだんだん見掛けなくなった気がする。

1947年(昭和22年)に原樹が枯れてしまい、いまこのあたりで梨に関連するのは、この石碑と地名だけのようだ。

地名が二十世紀が丘なので、ありとあらゆる名前に“二十世紀”が付いている。
でも、梨に関連するモノは、一切ない。

大きな通りの交差点に、テナント募集していた建物。
もともと、何のお店だったのか? 独特の形が、新しいテナントを拒んでいるのか…?

…豊水だった。

気になるコインパーキング。ついに、六本木20分の料金と同じで、24時間止められるところを確認。

戸定(とじょう)が丘歴史公園というところにやってきた。
最後の将軍徳川慶喜の弟であり、最後の水戸藩主だった徳川昭武が明治になって住んだところだそうだ。

以前から、このキャラクターがちょっと苦手というか、あんまり好きになれないのだけど、いつの間にやら、だいぶ定着?というか、見掛けるようになって来た。
それでも、どうも受け入れられないのは、どういうわけだろう。

松戸神社へ。
日本武尊が東国平定の際に、この地で臣下と待ち合わせをしたことから、「待つさと」=「待つ土(松戸)」になったという。

さらに行くと、道路の真ん中で、何事にも動じない猫が、やはり、ちらりとこちらを見てるようだった。
歩き始めてから、だいたい3時間ちょっと.。

ようやくゴールを果たす。
今日は、9.3kmの全コースをそのまま歩いたので、ちょっとくたびれてしまった。
結局、見るもの、ほとんどすべてが、二十世紀だったなぁ…という松戸散策だった。