2547 そこに本当の愛があるか?
なかなかものを捨てられない性格であることは、これまでも何度か書いた。そのことをある同僚に話をしたら、自身の経験をふまえて、こんなことを言われた。
押入れには思い出も思い入れもない止まった存在のモノたちがいるので、お互いのために整理したい
これまでモノに対しては、「もったいない」とか「いざというときに使える」といったことは考えていたが、「お互いのために」なんて考えたことがなかったから、この言葉には軽いショックを受けた。
僕はモノと対等につきあっているつもりだった。愛情を持って接しているつもりつもりだった。それだけに、使わないモノであっても捨てずに残しておくというパターンになりがちだった。
おそらく…
…モノがあることで安心していた?
…失うことへの不安があった?
…モノに対する片思いかも?
モノと対等につきあっていると言ってるくせに、使われないモノは、段ボールや押し入れの中に入れっぱなしで、ほとんど顧みることもなかったのも事実なのだ。
じゃあ、モノにとっての幸せとは何か? と考えてみる。
モノとしてこの世に誕生したのであれば、おそらく、モノ本来の用途として適切に使われることが、モノにとっての本望であろう。使われずにそのまま置かれていることは、きっとモノにとっては居心地の悪い状態であったかもしれない。形だけの愛になっていたのかもしれない。
取っておくべきか、別れを告げるべきかを、モノと僕のお互いのために考えるべきなのだ。そして、捨てられずに残ったモノたちに、あらためて問いてみるのだ。
「そこに本当の愛があるか?」 …と。