2031 聞こえてこない声

定点観察

「まず命を絶とうとしている者をなんとかしなければならない」という思いから、「自殺はよくない」、「踏みとどまって欲しい」…と、いじめられている子供たちに、さまざまなメッセージが投げかけられている。

そして、娘や息子を失った遺族たちの悲痛な声、校長や教育委員会から対応を悔いる声。残された関係者のたくさんの声が聞こえてくる。どの声も一様に沈痛で重い。

ふと思った。

唯一全くと言っていいほど聞こえてこない声がある。

いじめてきた側の声だ。

自殺した当事者に最も近い関係者である、いじめている側の声が全く聞こえてこないのだ。マスコミも伝えようとしてないような気がしてならない。自殺した子供がいかにつらい境遇にあったかということや、周囲の大人たちが気付いてやれなかっただとか、そんなことばかりが伝えられている。

なぜいじめるに至ったのか?いじめる者たちの暴走をなぜ止めてやれなかったのか?いじめた者たちやその親たちは、事の重大さをどの程度認識しているのか?…まるでわからない。

もう、そろそろ、いじめる側をなんとかせねば…。

いじめとは、一対一では成立しない。集団でひとりの人間を精神的、肉体的に攻撃しているということだ。 つまりこれは「集団虐待」なのだ。この際「いじめ」なんて、ひらがなの柔らかい言葉でごまかさず「集団虐待」という、いじめる側の存在(=集団)にもフォーカスをあてた表現にするというのではどうだろうか?

Posted by ろん