1702 思いを伝える難しさ

定点観察

 人の気持ちは移ろいやすく固定しやすい。曖昧だった気持ちが一度何らかの理由で方向付けが決定されてしまうと、今度はそれを修正するのは、現実としてかなり難しい。人の気持ちの問題だから、とやかくは言えないけれど。

 例えば、主人公Aが相手役Bに対してどんなに頑張って、自分の気持ちや熱い思いを伝えようとしても、たいていの場合は“うざったい”だけである。伝える手段は限られているし、数をこなせばしつこくなる。

 そんなとき、映画やドラマなんかでは、話を早く進めるために、主人公Aがどんなに自分の思いや気持ちを伝えたがっているかを、相手役Bが“偶然”見かける…なんていうシーンが数多く登場する。この場合、主人公Aは、相手役Bから見られていることに気付かず、ケースによっては後から気付かされる。
 本来、努力とは他人から見えないところで行われるもので、それを気付かせるような振る舞いは、実際にはかなり見苦しい(…現実の世界では意外といるけど)。だからこそ「相手役Bが“偶然”見かける」シーンが必要になるのだろう。

 ただ、なんとか思いや気持ちを伝えて、理解してもらったとしても、実際には、あくまで伝わっただけであって、願いが成就するかどうかは全く別問題なのだ。何事も道のりは険しい。

 で、思ったことは、そもそも「気持ちや思いを相手に伝えることができる」ということ自体、実はとても幸せなのではないか…ということだ。言いたいことが言えるということは、現実の世界ではなかなかできないものだ。思っていても言えないことばかりとも言える。何事も現実の道のりは険しい。

 だめだ、うまくまとまらない。見切り発車の文章は、書いているうちになんとかまとまるかな…なんて思っていても、実際にはそういかないことも少なくない。何事も道のりは険しい。

Posted by ろん