独裁者のデザイン/松田 行正

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ヒトラーが、自身が画家を目指していただけあって、デザインにはこだわりを持っていた…なんて話は、どこかで聞いたことがある。

ヒトラー、ムッソリーニ、スターリン、毛沢東は、4人は“押しも押されもせぬ”?独裁者だ。

独裁者は往々にして、その手法が似てくるものだし、好んで使うデザインも共通してくる。

しかし、それぞれの状況や背景は大きく異なるから、当然、用いた手法も大きく異なっているのも事実だ。

本書では彼らが用いたデザインの手法を「呪力のある視線」「燃える視線」「拒否する視線」「遠望する視線」「反復する視線」「記憶する視線」の6つに分類し、とても詳細な分析をしている。

冒頭で、鳩山由紀夫の「政権交代。」のポスターのことが取り上げられていたが、あの“凝視”は、相当なインパクトがあり、著者は政権を取る前のヒトラーが作ったポスターを思い起こさせたという。

実際、独裁者が好むデザインなのだ。

以前取り上げたことのある、戦時中海外向けに作られたプロパガンダ誌「FRONT」も紹介されていた。

もっとも日本では本書で取り上げられているような、“独裁者”はいないが、独裁者が好んで用いるのと同じ手法が取り入れていたところが興味深い。

また、ちょっと触れられていたところで、面白いなと思ったのは、スターリンに関する記述。

スターリンは、レーニンに気に入られさえすればそれでよく、国民と面と向かってアピールする必要はなかったという話は、なるほどと思った。実際、彼の信奉者は少なく、ただ恐れられていただけだったという。

独裁者は、人々を掌握することに対して、ありとあらゆる手法を用いるが、その執念のすごさを感じる。

そして、用いられるデザインは、どれも洗練されていて、現代にも十分通用するものばかりだ。

勇ましく頼もしくもあり、笑顔や楽しそうなものも散見されるが、忘れてはいけないのは、ここには、一切の自由がないということだ。

国家が、独裁者に操られ、国民が盲信させられた世界は、逃げ場のない地獄だ。

彼ら独裁者たちを見ていて怖いなと思うのは、もし、いま日本にこういう人が現れたら、もしかすると、とてつもない支持が集めてしまうのではないかということだった。

曖昧な政治家の言動を見ていたら、ハッキリモノを言い判断する指導者がいたら、どんなに頼もしいことだろう…と思ってしまいそうだ。

Posted by ろん