オリンピック・デザイン・マーケティング/加島卓

■芸術・デザイン,龍的図書館

ついに東京オリンピックが始まったが、この日を迎えるまで、こんなにも、失望に失望を重ねるイベントだとは思いもしなかった。

数々のトラブルのなかでも、特に印象深いものは、エンブレム問題だった。

本書は、エンブレムをめぐる混乱を、これまでに開催されたオリンピックや万博などのエンブレムが決定する経緯などを通じて、徹底的に掘り下げていく。

オリンピック東京大会(1964年)
日本万国博覧会(1970年)
冬季オリンピック札幌大会(1972年)
沖縄国際海洋博覧会(1975年)

実は、これらのエンブレムは、いずれも一部の専門家により、公募ではなく、指名コンペティションによって決定している。

「いつものメンバー、いつものやり方」で決まってきたのだ。

これは、まさに今回の東京オリンピックエンブレムでも、まったく同じだったという。

競争環境を作るためにも「いきなりアートディレクターを決める」ものではないが、かと言って、「ハシにもボウにもかからぬ、応募作品の山」と向き合うのは合理的ではない…という考えから、指名コンペティションで選ぶのが正しいという判断だったという。(p.76)

本書でも指摘されていたが、その人選がフェアーと言えるかどうかが問題なのだ。

かつて、1964年の東京大会では、先にマーク(エンブレム)の「作り方」を考え、後になってマークの「使い方」を考えていた。

マークはあくまで大会を演出するためのものであり、資金集めの手段ではなかったのだ。

時代を経て、以降のオリンピックでは、“作り方”=「エンブレムの造形的な評価」から、“使い方”=「マーケティング的な評価」が重視されていくという見方は、なるほどと思った。

マーケティング的な評価…これはまさに、広告代理店の領域である。

明らかな変化が現れたのは、長野オリンピックだった。

エンブレムは企業に委託され制作されていたというところからして、作り方より使い方を重視していることがわかる気がする。

たしかに、いま振り返ってみても、2020年の東京大会と比べて、当時誰がエンブレムをデザインしたかということは、それほど注目されていなかったように思える。

興味深いのは、”デザイン界”から見ると、長野オリンピックのやり方は、決して快く思っておらず、2020年の東京大会では、その”失敗”を繰り返さないために、”デザイン界”が、かつての手法で取り組もうとしたようだ。

そこに担がれたのが、1964年東京大会指名コンペティションに参加、札幌冬季大会、沖縄海洋博のエンブレムをデザインした経歴を持つ永井一正だった。

さすがに、完全な指名コンペティションということは難しかったようだが、応募要件をできるだけ厳しくすることで、結果的に、事実上の指名コンペティションで決めることとなった。

そして、あの“エンブレム問題”が起きる。

本書では、あのエンブレムが“パクリ”であったのかどうか、また、その選出が“出来レース”かどうかについての詳細を解説していく。

この経緯を知ると、国立競技場建て替え問題、辞任“ドミノ”問題なども、実は、どれも似たような背景があったことがわかって興味深い。

もう、日本はこうした大きなイベントを平穏に開催する能力がないんだということが痛感させられる気がしてしまう。

内容盛りだくさんで、引用の紹介ページも含めると400ページを超えるので、読み応えがある。

今回ほど広告代理店“電通”の存在が見え隠れしたオリンピックはなかったように思う。

本書でも、かなりの部分で、広告代理店について触れていたが、かつて、モスクワオリンピックでは、博報堂が、オリンピックエンブレムの使用料徴収の窓口だったそう。

そして、次のロサンゼルスオリンピックでは、博報堂に取られたくなかったライバル、電通が、独占エージェント契約を結び、現在まで続いているという。

このあたりにも触れると、キリがないのでこのへんにしておこう。

とにかく、オリンピックは、“闇が深すぎる”。

あれ?オリンピックって何のイベントだっけ?…と思ってしまう。

Posted by ろん