4538 あえて国会前を歩いてみた

物思いに耽る(雑感),社会・政治・事件

安全保障関連法案に反対する人たちが、連日、国会議事堂前に集まってるということで、その様子を見に行ってきた。

普通の人たちが、デモに参加している…といニュースでやっていたが、実際にどうなんだろう?

上空にはヘリコプターが飛び回っている。

国会議事堂の近くまでやってくると、デモよりも警官の姿を多く見掛ける。

さらに近づくと、太鼓の叩く音が聞こえてきた。

安保法案反対と思ったら、「原発反対」と叫ぶ人たちだった。

歩道沿いにずらりと並ぶ警官たち。

警官によって誘導してくれる警官のひとりはマイクで…

「国会前はかなりの混雑のため、集会に参加される方は、こちらへお願いします」

…と、誘導している。

歩道に人が溢れているが、国会議事堂の正面へ人の流れはあった。

絶え間なく、シュプレヒコールが続く。いろいろ考えさせられた

そんな、辞めろ!反対!が響き渡るなか、気になるフレーズがあった。

「民主主義ってなんだ?」

もちろん、デモだって民主主義だけど、選挙で選ばれた議員たちが法律にのっとって決めることも、間違いなく民主主義だ。

もし、デモで判断が変わってしまっては、それこそ民主主義ではない。採決を強行したとは言え、最終的には多数決で決めるというのが、民主主義のルールだと思う。

「戦争反対!」

この連呼も気になった。

たしかに、戦争は誰だって反対だ。

でも、実際に戦争の火種を作っているのは、アジアの一部の国であることは明確だ。

戦争はしたくないけど、もし、攻めてこられた場合ってどうしたらいいんだろう。

そう考えたら、批判をする相手は、国会なんかではなく、そうした国々なのではないだろうか?

こうしたデモが、いまのアジア周辺の問題を解決の方向に向かわせるとは、とても思えないのだ。

一部の新聞などでは、ごく一般の人たちや若い人たちの多くがデモに参加しているといった伝え方をしていたので、実際はどうか、参加者の様子を気にしながら歩いてみた。

ひとつ気がついたのは、シュプレヒコールを、そこにいる人たちの多くが、”きちんと言えている”ということだった。

スピーカーを通してシュプレヒコールが上がると、それを周囲が繰り返して声を上げる。

よく聞いてみると、同じ言葉がただ繰り返すだけではなく、言葉は次々と変わる上に、ちょっと変わった言い回しとか抑揚があったり、なんと英語?もあったりと、けっこう多彩なのだ。

ときには、よく聞こえない場合もあるのだけど、ここに集まった人たちは、なぜか、しっかりと繰り返し唱和している。

僕のように、それを初めて聞いたような人だと、ただ繰り返すだけでもちょっと難しく、ある程度練習してるせいか、言い慣れていなければ無理だろう。

そう考えると、組織に所属しているとか、動員をかけられている人たちなのではないか?と思えてくる。

やっぱり、ここには関心の高い一般人は、ほとんどいない?…もし、それが本当であれば、自分の身近な実感とも合致する。

つまり、反対が多数を占めるとする一部の世論調査の結果と異なり、実際の多くの国民は安保法案に、そもそも、あまり関心はないのではないか…と。

関心がないというのは、結果的に支持していることを意味している。

こういった形での”支持”というのは、あまりいいことではないけれど、これだって反対していない(結果的に賛成する)人たちの意思だ。

あまり”一般人”はいない感じ

シュプレヒコールの嵐の中を黙々と歩きながら、いろいろ考えた。

意見の異なる人たち同士の相互理解というのは相当難しいということ、マスコミやメディアの伝え方の問題や、民主主義の問題など、あらためて感じさせられた。

Posted by ろん