4208 盲導犬は かわいそうか?

いきもの

先日、盲導犬の事件を取り上げたが、引用とはいえ、一部内容に誤りがあることがわかった

少々長いが、全日本盲導犬使用者の会のサイトから引用する。

 一部報道において、「盲導犬は何があっても声をあげないように訓練されている」と言う論調がなされています。これを受けて、多くのユーザーが街中で「抑圧されて働かされる盲導犬は かわいそう」と言う厳しい言葉を浴びせられています。
実際にはそのような訓練は現在行われていません。もしもそのような訓練がなされているとするならば それは虐待と捕らえられても いたしかたないことです。
盲導犬は、生まれたその時から多くのボランティアや関係者、そして その生涯の大半を共に過ごす私たちユーザーから精一杯の愛情と良質な飼育環境を与えられ、人間を100パーセント信頼して生きています。だからこそ彼らは攻撃的行動に出たり、むやみに声をあげる必要はないのです。彼らは抑制されることにより声をあげないのではなく、人間を信頼しているからこそ声をあげないのです。

「盲導犬は何があっても声をあげないように訓練されている」は誤りで、「人間を信頼しているために声を上げる必要がない」というのが正しいという。

全日本盲導犬使用者の会 公式サイトどんなにつらくても「声を上げない」という結果は同じだが、その理由はまったく異なっている。

そもそも、どういった取材によって、このような謝った情報が伝わってしまうのか?と思う一方で、気になる記述があった。

多くのユーザーが街中で「抑圧されて働かされる盲導犬は かわいそう」と言う厳しい言葉を浴びせられています

盲導犬は かわいそうか?

そういえば、盲導犬以外にも、犬は、さまざまな場面で活躍している。

警察犬や麻薬探知犬、先日の広島での土砂災害現場で出動した災害救助犬の活躍などは、特に記憶に印象的だ。

こうした特別な活躍をする犬ばかりでなく、人間と犬は、狩猟や番犬など、古くからともに生きてきたし、もっと身近では、愛玩動物としても親しまれた。

こうした犬たちの役割は、人間にとって欠かせないが、犬の立場で考えてみたらどうだろう。

厳しいしつけもあるけれど、それはあくまで愛情の裏付けがあっての上で、犬たちはそれに応えているに過ぎないのではないか?

しつけの上に身についた役割を果たすことは、犬たちにとっても、幸せなことではないかと思えるのだ。

もしかすると、身勝手な考えかもしれない。

では、こうした役割も与えられず、誰からも見向きもされない犬たちが、幸せかどうか?というと、それもちょっと違うような気もする。

これは、人間にも言えることだけど、生きる役割を持ち、それを果たすことができるというのは、とても幸せなことだと思う。

だから、盲導犬がかわいそうだとは決して思わないのだ。

Posted by ろん