3509 あえてオリンピック招致を考えてみる
国際オリンピック委員会(IOC)で、2020年のオリンピック、パラリンピックの開催候補地として、東京を含む3都市に決定した(Web魚拓によるキャッシュ)。
東京は前回に続き2度目の挑戦だった。
他の立候補都市と比べて、全面的に評価が高いものに、際だって低いのが、国内の支持率だった。
こんな景気が悪いこんな時期にすることはない…とか、費用をもっと別のものに掛けるべきといった意見は、前回の立候補のときも、同様の意見があった。
これらの意見は、もっともだし、その通りだと思う。アンケートを採っても、反対の方が圧倒的だろう。
しかし、ここは、あえて、僕は、オリンピックの招致に賛同したい。
招致や準備に掛かる費用を別のものに…という議論だが、では具体的には何に掛けるべきなのだろうか?
よく言われる、医療や福祉に掛けよという主張だが、では、オリンピックを開催しなければ、そのお金は、医療や福祉に回るのだろうか?
不景気という、今のタイミングで、オリンピックのような祭典は無駄だというのであれば、スポーツなんてお金を掛けてやるものではない…というふうに聞こえるといったら言いすぎだろうか?
そこで、オリンピック開催を考えてみる。
先日の、金環日食の盛り上がり方を見れば分かるように、日本人もいざというときは盛り上がるのだ。
そして、オリンピックが景気を浮揚させる効果は限定的だと言われるが、ほかに直接的な効果を上げる投資はあるだろうか?
また、オリンピックが来ていい思いをするのは、一部のゼネコンや広告代理店くらいという意見もあるが、これは、そういう手法を取らせる、主催者が問題なのであって、もっと都民や第三者が関与すべきなのだ。
こうした意見の背景にあるのは、オリンピックが強制されるものという意識があるからではないか?
自らがオリンピックを仕切り、自らが世界中からやってきた選手や観光客をもてなし、自らが盛り上げると思えば、そんな意見は出ないはずだ。
自分たちがオリンピックを作るんだと思えば、反対一辺倒だけではない意見が出てくるのではないだろうか。