5949 お茶出し
今日は、この記事が気になった。
議会事務局によると、お茶出しの臨時職員は「日々雇用」という日雇いで、企画財政、総務県民生活など八つある常任委員会と特別委員会で、出席した委員と県の部長にお茶を出す。これまで、委員会が中断するたびに女性たちが慌ただしくお茶を取り換えて回る場面もあった。人件費は県臨時職員の取り扱い要綱に基づく日当で、2018年度は計約37万円だった。
このタイトルが、“女性”が“お茶出し”なんて時代錯誤も甚だしい…的な雰囲気を感じるが、気になったのはそこではない。
たしかに、お茶くらい自分で入れろ…というののあるし、これが税金で行われていたことも、いまの時代には問題視されるだろう。
でも、かつては、違和感もなく“仕事”とされた時代があり、多少語弊があるかもしれないが「難しい仕事は苦手でもお茶出し程度であれば、なんとか仕事にできる」という人もいたはずだ。
それは、どの時代でも同じだ。
つまり、無駄を削減することは、結果的に彼らの仕事を奪うことになる。
言い換えてみると、もしこれが障害者が従事していたとしたらどうだろう?
「無駄がなくなって良かったね」とはならないだろう。
彼らにとって、少しでも社会と接して貢献できるという機会を増やし、それが報酬となるという経験ができれば、決してこれを無駄とは言えないと思う。
もっと広い視野で“適材適所”を考えるべきではないだろうか。