3242 クールビズ、在宅勤務、仕事の意識
今日から6月。
衣替えにあわせて、一部では、今日からいわゆる“スーパークールビズ”として、かなりの軽装で勤務が認められるようになった。
自分の勤務する会社でも、同様の対応が認められるようだ。
しかし、以前も書いたが、僕自身は暑くても、ネクタイをしていたいと思ってしまうので、暑くてどうしようもなくなるまでは、クールビズとは逆行した姿で仕事をすることになるかもしれない。どうも、ネクタイをしないと仕事をした気にならない。
さらに暑くなってくれば、いよいよ電力の使用制限が始まり、サマータイムや在宅勤務などが始まることになる。
震災直後のわずかな期間だったが、在宅勤務をしたことがある。
このときに思ったのは、通勤せずに楽でいい…ということよりも、出社していないことによる不安だった。
出社をすれば、仮に何もせず?席に着いてるだけでも、それなりに仕事ができた感覚になる。
もちろん“何もすることがない”…ということはないが、少し手が空けば周囲の同僚の状況を見ながら、いま取り組んでいる仕事の話をしたり、他の同僚にところに足を運んで話を聞いたりすることはできる。
しかし、在宅勤務では、そうはいかない。
実際、出社しても、打合せがないようなときは、一日中パソコンに向かって仕事していることもあるし、同僚と特に話をすることなく過ごすことだってあるのだから、理屈の上では、自宅でも充分仕事はできるはずだ。
しかし、感覚的には違う。
自宅にいると、純粋に、その“時間あたり”の成果だけが問われる気がする。
これは、出社しようが、しまいが、全く変わらないのだけど、違う気がするのだ。 「定時に出社してきた」ということ自体が、仕事の一部になっている気がする(もちろん違うのだけど)
今後、在宅勤務が一般化すると、会社としての評価は、より厳しくなってくるかもしれない。
そもそも、ネクタイをしないと仕事をした気にならないというところから、意識を変える必要があるのかも。