2817 JALと僕
今朝、ついに会社更生法が適用されることになった日本航空(JAL)の新聞の一面広告が載っていた。
ふと、これまで、JALを利用したのはいつだったか?…と、振り返ってみた。会社に就職した以降では、以下の5回だった。
2009.10 | 羽田-大分 |
2007.12 | 成田-上海 |
2003.2 | 羽田-新千歳 |
2002.5 | 羽田-伊丹 |
1997.6 | 羽田-鹿児島 |
他社は、いまはなき日本エアシステム(JAS)が3回、全日空(ANA)が4回、海外の航空会社が2回…いうことで、これまで一番多く利用してきた航空会社が、実はJALだった。
でも、どういうわけか、JALに乗った印象が薄い。こうして並べてみて、意外なほどJALの利用回数の多さにちょっとビックリしたのだ。
父の実家は長崎だったから、幼かったころから飛行機はよく利用していた。その長崎空港に就航していたのは、ずっと、東亜国内航空(TDA)とANAだったから、JALに乗る機会がそもそもなかった。TDAがその後、JASになり、JALに統合されるころには、長崎に行くことはなくなってしまったため、JALで長崎には行ったことがない。
そういえば、生まれて初めての飛行機による海外旅行はANAだった。新婚旅行もANAだった。初めての国内出張もANA、初めての海外出張(もう二度とないだろう)は海外の航空会社だった。
こうしてみると、やっぱり、JALで印象に残る利用が少なかったのだ。
だからなんだと言われると、なんと言っていいやら…だけど、僕とJALのつきあいはこんな感じだったというお話。
“つぶれる”なんて思いもよらなかった航空会社が破綻してしまうなんて…。偉い人たちがたくさんいるはずなのに。きっと責任を取る人がいないから、問題の先送りを続けてきた結果なんだろうなぁ…とは思う。