3511 幸せそう
ここ最近、Facebookを見ていて思ったのは、「みんな幸せそうだなぁ…」ということだった。
もちろん、あくまでこれは“見掛け”であって、Facebookに書けないような、苦労や障害もたくさんあることは十分承知している。
従来からの、個人のホームページ(ウェブサイト)やブログは、多少は読者とのやりとりはあるものの、基本的に、情報は一方通行であった。
しかし、Facebookは、誰が見ているかということを強く意識されることが前提となっている。
そのためか、Facebookは、泥臭い部分より、綺麗で華やかで幸せの方が、より凝縮され、記事になる傾向が強いように感じた。
その結果どうなったか?
否応なしに、人の知られざる幸せが、自分に飛び込んでくるのだ。しかも、ほぼリアルタムで。
・・・
ま、別にいいじゃないか。
そう、別にこれでいいのだ。
ただ…。
ありがたいことに、いまは自分も幸せであるから、こんなことを言っていられるのであって、もし、事情が変わったら、直視していられないだろう。
つい自分の境遇と比較してしまうからだ。
他人の幸せは、自分の境遇とは無関係にあるはず。
そんなことは分かっている。
でも、僕は弱い人間なので、頭で理解しているつもりでも、心が付いていかないのだ。
・・・
ま、別にいいじゃないか。
難しく考えるのはよそう。
ただ、この記事に関しては、Facebookへの転載はやめておこう。
そして、もうちょっと自分なりのFacebookとのつきあい方を考えてみよう。