2339 うるさい日本が人々を無関心にさせていく(1)

物思いに耽る(雑感)

何を隠そう…隠さないけど、唯一とも言える僕の宴会芸は「電車の車内アナウンスの物真似」だ。この芸?を習得するために特訓したとか、訓練したということはなく、もともと鉄道好きということで、ほとんど無意識のうちに覚えてしまった。

だから…というわけではないが、これまで駅のアナウンスや、車内放送が気になったことなどなかった。

よく利用する地下鉄の車内放送で広告を流すようになってから、考えが一変した。広告はもちろん、それ以外でも、あまりにしつこい放送が気になり始めたのだ。

そして、先日「うるさい日本を哲学する」という本を読んで、これが気のせいではなく本当にうるさいのだということをあらためて気づいたのだ。

次の停車駅や、行き先、乗り換えの案内ならば、まだいい。さらに…

  • 駆け込み乗車は…、
  • 携帯電話は他のお客様のご迷惑に…、
  • この電車はワンマン運転…、
  • 痴漢や暴力その他の迷惑行為を見かけたときは…、
  • 交通安全総点検を実施中です…、
  • 火災予防運動を実施中です…、
  • 冷房を使用しておりますので…、
  • 列車遅延防止のため…、
  • 車内で不審な荷物を発見されたときは…、

それに加えて、「○○中学…、○○高校…はこちら…」だとか、「専門学校○○はこちら…」だとかやられるのだ。

どうして、これがうるさいと誰も思わないのだろう? なぜ聞き流せてしまうのだろう?

痴漢を見かけたら駅員や警官に伝えるのは当然ではないか? 別にその場を取り押さえろって言ってるわけじゃないんだし、放送で言われなくたってわかるようなことを、何度も何度も、毎日毎日繰り返す。

聞く乗客の方は、おそらく、ほとんど気にしない人が圧倒的だから、特にクレームになることがないのだろう。流す方はうるさいかどうかなんて気にすることなく、どんどん放送し、注意喚起もやったという実績ができ、さらには広告収入まで得られるのだ。

なぜ誰もうるさいと言わないのだろうか?

先日読んだその本によれば、「大方の日本人は(いかに不合理であっても)なるべく与えられた状況を受容してしまう。耐え難さの限界まで耐える」と書かれている。そして他人が自分に向けて発せられる言葉が怖いから、代わりにスピーカーを通した音が流されるのだという。注意が自分個人に向けられていないということが大事なのだ。

うーん…

話が長くなってきたので、続きはまた、明日。

Posted by ろん