2299 内藤亀田戦に見る“不都合な真実”

社会・政治・事件

先日の内藤大助vs亀田大毅の試合内容については、ここで論評するほどでもないが、亀田大毅に対する批判の声を聞くと、彼はもちろんその家族(亀田家)が少し気の毒に思えてくる。

そもそも、今の彼らは、最初から存在したわけではなく、マスコミ…特にTBSと視聴者によって作られたんだと思う。マスコミを通じて広く日本中に認知されなければ、ボクシング界の“変わり者”で終わっていたはずだ。日本中に知れ渡ったことで、妙な共存関係が生まれたのだ。

亀田家のいわゆる“ビッグマウス”はマスコミにとっては格好のネタで、それをマスコミは視聴者に提供する。視聴者はそれを“お約束”として当然のことのように期待するという関係だ。

そして亀田家は、意識するしないにかかわらず、結果的に、そうした期待を忠実に実行してきたのだ。

試合内容が批判されているが、今回の事態は必然であったとも言える。殊勝な態度を取る彼らを誰が期待したであろうか? 彼らは、実力はともかく、大人しく黙って試合に破れるわけにはいかなかったのだ。

もしも彼らがもっと賢かったら、このような批判を受けずに済む戦い方もしたかもしれない。しかし彼らは器用ではなかったし、いまさら常識的な行動なんて取れるはずもなかった。このままのペースで突き進むしか方法を知らなかったのだ。

彼らを批判することは簡単だ。しかしこれまで彼らの“お約束”を期待してきたのは、他ならぬ視聴者であり、TBSはそれを最大限利用してきたということを忘れてはいけない。そしてこれは、視聴者にとっても、TBSにとっても「不都合な真実」に見えてしまうのだけど、穿った物の見方だろうか?

Posted by ろん