7092 それも個性?
浜崎あゆみが、自分の息子の筆圧を注意されたことについて、それが「個性」というものではないかとブログに投稿したという記事を呼んだ。
「周りと違ったら怒られる、指摘される、直される。教育という名のもとで『個』を失って右向け右に揃えられていく子供達。。最近、そんな事ばかりよく考える。ま、残念ながら子供に限ったことでは無いんだけどね。。。」
こういった主張を認めることになると、今度は教育とは何だろうと思ってしまう。
学校での教育は、これから生きていくなかで必要とされることを学んでいくことだと思うが、筆圧だってそのひとつのはずだ。
どの程度の筆圧の弱さかわからないが、書いた文字の内容が伝わらないのであれば、何の意味もないわけで,これはけっして、個性なんかじゃないと思う。
その一方で、なぜそれが良くないのかについて理解できなければ,ただ注意されたとか、個性を踏みにじられたといった受け取り方しかできないのかもしれない。
注意されたことをまず受け入れるというのは、いまの時代には馴染まないのかもしれないとは思った。
ただそれを子どもにも適用させるのは難しいところもあるだろう。
周囲の大人も一緒になってしまったら、その子どもの将来が心配になってしまう。
ときどき、ネットのニュースで名前の出てくる“ゆたぼん”も、そういった意味では,被害者なのかもしれない。
この記事も読んであらためてそう思った。
彼は学校に行かないことを宣言して、いわゆるYouTuberとなったようだ。
彼の動画を見たことはないが、伝えられる情報によれば、不登校に関する問題提起はほとんどなく動画の視聴回数を増やす活動に終始しているというオチになってしまったのは残念だ。
今回の件では、記事のタイトルにあるように、「正論」「分かる」みたいな意見が集まっている。
もちろん反論も入ってることだろうが、きっとそんな声は届くことはなく、耳障りのいい意見ばかり取り込むことになるだろう。
やっぱり周囲の大人の役割って大事だと思わずにはいられない。