日本航空一期生/中丸 美繪
- 日本航空一期生
- 中丸 美繪
- 中央公論新社 (2018/6/22)
テレビドラマの原作本として紹介されていたので、思わず図書館で借りた。
ドラマのタイトルからして、いまでいうところのキャビンアテンダントの話かと思ったら、それは全体のごく一部だった。
第二次世界大戦後の日本は、一切の航空関連の活動が禁止され、紙飛行機ですら許されなくなってしまった。
そのため日本の空を飛ぶことが許されるのは外国の飛行機だけという、日本にとって屈辱的な状況となっていた。
しかし、将来必ず民間航空が求められる時代が来ると信じ、奮闘し、それを実現してきた人たちが本書の主役だ。
紆余曲折を経て設立された日本航空株式会社は、外国の飛行機も、パイロットなどの運行要員もリースして、日本が担当するのは営業やサービスだけがというかなり変則的な役割でスタートしている。
最初から半官半民の会社だと思っていたが、国際線へ進出するまでは、純粋な民間会社だったとは知らなかった。
ドラマでは、タイトル通り「エアガール」と呼ばれていたが、実際には、すぐにスチュワーデスと呼ばれるようになったという(p.81)
わずかな募集期間で、12名という採用予定者数に対して、実に1300人もの応募があったという。
また、ドラマで描かれていた、応募者のひとりが持ってきた履歴書に添付する写真が間に合わなかったものの、締切日に受け付け、後日応対する社員があとで受け取りに行く…なんていう牧歌的なエピソードも実際にあったことのようだ。
スチュワーデス一期生の研修は、フィリピン航空のチーフスチュワーデスから実際の現場のサービスを学び、航空医学や看護は東京慈恵会医科大学東京病院、接客は現在のパレスホテル、アナウンスはNHKと、その道の専門家から手ほどきを受けたという。
最初の定期便は、のちに墜落することになる「もく星号」だった。
で、以前から気になっていたが、なぜ、愛称が“ひらがな”なのかということ。
本書には、ノースウェストかたチャーターした機材には、その前と特別する必要があったため、平仮名愛称が使われている。とあった。
たしかに、試験飛行の際に使用された機材は、フィリピン航空からのチャーターで「金星号」と名付けられており、ノースウェストきんせい号と区別した…ということなのだろう。
でも、区別するなら、全然違う愛称にすればよかったのに…と思う。
最初の定期便の運行開始までは、とにかくバタバタだったようで、もく星号の尾翼に日の丸が描き込まれたのは、定期旅客便運行開始の前夜だったそうだ。
第一便の貴重品扱い貨物は犬(フォックステリア)だったというのも、ちょっとしたトリビアかもしれない。
また、当時ならではのエピソードとして、チェックイン手続きは、羽田飛行場ではなく、当時銀座にあった日航東京営業所で行われたという。
なぜなら空港は連合国の占領下にあったため、日本人であっても容易に立ち入ることができなかったからだ。
そのため、チェックインを済ませると、スチュワーデスやスタッフとともに、京浜急行に委託したバスで羽田まで移動するという方法が取られたそうだ。
さまざまなエピソードで読み応えがあって、当時を知る人たちの話は、とても生き生きとしていた。
日本航空にかかわったきっかけや経緯は、人それぞれだが、誰もが強い意志を持って、当時の日本航空を盛り上げていこうという思いが伝わってくる気がした。
もちろん、それに耐えられない人たちは、次々と脱落していったのも事実で、決していい話ばかりではない。
でも、こうした組織のトップやリーダーとなる人たちが、みんな「どうあるべきか」ということをしっかりと持っていると、どんなに難しいことであっても、成し遂げられるんだなと思えてくる。