知られざる原発被曝労働/藤田 祐幸

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知られざる原発被曝労働 知られざる原発被曝労働―ある青年の死を追って (岩波ブックレット (No.390))
藤田 祐幸

岩波書店 1996-01-22
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いつものように図書館でぶらぶらと歩きながら、棚の本を眺めていたら、原発特集で本が集められて展示されてた。

そのなかで、厚さが5mmにも満たない一番薄い一冊の本が気になった。

この本は、原子力発電所で電力会社の孫請け会社の社員として働いていた人の死を追ったドキュメントである。なお、こちらのサイトでもこちらのサイトでも、本書に近い内容の話が紹介されているので、興味のある方は参考にしてほしい。

死因は、慢性骨髄性白血病だった。

ご両親が労災申請をしようとしたところ、電力会社から「前例がなく労災認定は難しい』として、労災なみの弔慰金を支払うことを条件に、今後いかなる異議も唱えないという覚え書きを交わそうとしたという。

しかもこの覚え書きにはご丁寧にも「労災が認定されたとしても労災保証金はすべて会社に払い戻す」という条件が書かれていた。苦労して労災認定を勝ち取ろうという動機を失わせることで、被曝労働問題が表沙汰にならなかったことがわかる。

この亡くなった方が、放射線管理手帳に、作業時の被曝線量を詳細に記録していたことから、これが決定的な証明となり晴れて労災が認められることになる。

この手帳の記録によれば、原子力発電所の定期検査に従事したときに多量の被曝をしていることがわかった。原子炉内の中性子の密度を監視する計測装置の保守、点検…原子炉直下での作業だった。 原子炉内部の様子を正確に把握するためには、絶対に必要な作業だ。

実際、原子力発電を維持していくためには、こうした作業が不可欠なのに、“安全である”ということだけしか伝えられることはない。

全部ロボットか遠隔操作で作業が進むようなイメージを持っていたが、そんなことは決してないのだ。誰かが、必ず、放射線を浴びながら作業している。

そして、そんな作業によって病気になったとしても、結果的には闇に葬られてしまっているという事実…。

必要な“リターン”(利益)を得るためには、ある程度の“リスク”(危険)は、やむを得ないのかもしれない。

しかし、本書で紹介されているような、原子力発電所の現場における、そのリスクはあまりにも悲惨だ。

本書の“おわりに”に、非常に示唆に富むことが書かれていたので、少々長いが一部引用させていただく。

原子力産業はある一定の人数の労働者が死んでいくことを前提にして存在する。労働者の使い捨てによって成立しているといっても過言ではない。(中略)
労働者の被曝による利益が、もしあるとするならば、それは労働者にではなく、会社側にある。原発が国策に従って推進されているのであれば、その利益はもっぱら国家が享受することになる。(中略)
私たちは、この不当炉な労働に支えられた「便利で豊かな生活」に首までどっぷりとつかってしまって、電力を生産している現場のことを思うことがない。思わなかったのではなく、知ろうとしてこなかっただけなのかもしれない。

それでも、どうしても原子力発電が必要であると考えるのならば、こうしたリスクをきちんと知った上で、もし現場で働く人たちに病気や障害が認められたとしたら、きちんと手厚い支援をするなどの対応をすべきだろう。

それにしても…と思う。

はたして、人間が目指してきた未来というのは、こんな世界だったのだろうか?…と。これは、ここ最近、何度となく感じることだ。