5691 あまりに軽くなった”ロス”
最近、特に気になる言葉がある。
なにかがなくなってしまったときに使う“◯◯ロス”という言葉だ。
この“ロス”が使われ始めたのは「ペットロス」からだと思う。
家族や自分にとって身近な人を失っても、ロスとは言わないように、ロスという言葉には、それなりに重い意味が込められていたと思っていた。
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感動的なドラマが完結して、もう来週から見られない…というのであれば、まだしも、たかだか、まだ放送が続く、連続ドラマの「舞台が変わっただけ」で“ロス”というのは、あまりに安易だ。
こういった場面で、“ロス”を使ってしまう人は、もっと強い表現をしようとしたら、なんて言うことになるのだろう?
あまりに”ロス”という言葉が軽くなってしまっている。
過剰に使われすぎることで、「言葉の価値」が毀損してしまう気がするのだけど、こういった言葉を使う人にしてみたら、まったく気にしないに違いない。
同じような、言葉の使われ方に違和感を覚えたことを思い出した。
もうずいぶん前に、テレビ欄に「激怒」、「号泣」、「爆笑」という言葉が多用されていると取り上げた。
実際に番組を見れば、「激怒」→してない、「号泣」→してない、「爆笑」→してない…というありさまだ。
目くじらを立てるほどでもないのかもしれない。
けれど、人々の認識している言葉のニュアンスや意味が違うと、コミュニケーションに支障が出てくるんじゃないか…と思ってしまう。