5446 あらゆる偶然の上に生きているに過ぎない
自民党の衆議院議員の寄稿が波紋を広げているニュース(Web魚拓)。
杉田氏は寄稿で「LGBTだからといって、実際そんなに差別されているものでしょうか」と指摘。「LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子どもをつくらない、つまり『生産性』がないのです」と主張した。
けっこうこの手の“炎上”は、ときどき見聞きする。
残念ながら、同じような考えの人たちが一定数はいるのだろう。
しかしその多くの場合、共通していることが2つある。
まず、ひとつは「思い込みだけで物事を語る上に、決定的に語彙が足りないということ。
そして、特に気になるもうひとつは「自分の置かれている現在の境遇はすべて自分の力で実現している」と誤解している節があることだ。
もちろん、本人の努力によって変わることであるが、そこに至る大前提は、自分の意志ではどうしようもないことばかりなのだということに気付いていない。
そもそも…地球という惑星で、人間として、日本という場所で、男性として、もしくは女性として生まれてくることを、自分の意志で決めることができるだろうか?
こんなごくごく当たり前のことに気付いていない。
今の自分は、あらゆる偶然の上に生きているに過ぎない。
例えば、今回話題となっている、LGBTになるとか、何らかの障害を持ってしまう、病気になってしまうなど、実際に起きていることは、たまたま自分に起きなかっただけのことで誰かに必ず起きる、生物学的な必然だと思う。
こういう人に、リアリティを持って体感させることができるといいのだけど、なかなか難しい。
最も仮に同じ状況になったらなったで、また、きっとひと騒動を起こすのだろう。
まぁ、これも、誰かが起こす生物学的な必然なのかもしれないけど。