4692 復興とはなんだろう?…震災遺構について

物思いに耽る(雑感)

震災から5年が過ぎ、あらためて震災遺構をどうするかという議論が活発になっている。

今回、各地の震災遺構を自分の目で直接見に行くことにしたが、これはやはり、そのまま残されているからこそ見に行ったのであり、もし、これが嵩上げが完了した状態だったら、どうだろうか?

陸前高田の、奇跡の一本松は、実際の松は壊死してしまい、現在の松は、炭素繊維やガラス繊維のプラスチックによる”モニュメント”になっている。

背後に建物があったために残ったともいわれる

これに対して、多額の費用を掛けることに対する批判の声もあったし、自分自身も同感する面もあった。

しかし、実際に来てみると、印象はまるで違ってきた。

周囲の、津波で流され何も残っていない場所に立ってみると、奇跡の一本松の存在感は絶大であることがわかった。

石碑のようなものではなく、たとえ”モニュメント”であっても、こうしてこの場所にあり続けることが、心のよりどころになるような気がしてならなかった。

震災遺構は、そこで亡くなった人を関係者に持つ人にとっては、非常につらい存在となるというのも十分に理解できる。

しかし、震災の教訓を後世に残すということは、何度となく津波の被害を受けてきた地域に住む人にとっての使命だとも思うのだ。

それは、嵩上げをして済むという話ではない。

そして、記念碑や映像のようなものでは、心には響かない。

実際の現場で同じ空間を共有することによって、伝わってくるものがある気がした。

苦しいかもしれないが、意思を持って震災遺構を残し、次の世代では、今回の悲劇を絶対に起こさせないようにしなければならないと思う。

それもまた、ひとつの復興だと思うのだ。

Posted by ろん