4691 復興とはなんだろう?…嵩上げについて
南三陸の旧防災庁舎に向かって歩いているときに感じた、何とも言いようのない違和感。
それは、遠くに見えた剥き出しの鉄骨とその周囲の巨大な土砂の山に対してだった。
多くの人たちの命を奪ったのは、言うまでもなく、庁舎の屋上を越えるほどの津波だった。
そして、被災後、津波に備えた対策として取られたのが、嵩上げであり、その過程が、いま目の前に広がる光景だなのだ。
そう考えれば、嵩上げは、見方によっては、復興の象徴なのかもしれない。
しかし、旧防災庁舎の被害以上に、土砂のピラミッドのあまりの大きさに圧倒されてしまった。
これはすなわち、これほどまでの措置をしなければ、ここで暮らすことができない…ということを意味する。
三陸沿岸は、有史以来何度となく、津波の襲来を受けている場所だ。
厳しい言い方をすれば、津波がくることを覚悟して住んでいる…とも言えるわけだ。
そこへきて、これほどまで嵩上げしないと住めない…というのならば、もはや、この場所は人が暮らす場所として適していないのでは?…と言ったら、言い過ぎだろうか?
すべてが流され、町としての機能は破壊されてしまった。
そこに莫大な費用を掛けて嵩上げしたところで、いったい何ができるというのだろう?
たとえ嵩上げが完成し、同じ場所に住めたとしても、もう元に戻らないのだ。
陸前高田でも、南三陸同様に嵩上げが行われていた。
こちらはさらに規模が大きく、奇跡の一本松の遙か上空を、巨大なつり橋とベルトコンベアが設置された。
これにより、10トントラックなら9年かかるといわれた工程を1年半で終えたというほどだから、いかにすさまじい規模で行われたかがわかる。
しかし、これが本当の復興に繋がるのだろうか?…という疑問はぬぐえなかった。
莫大な資金を投入して嵩上げして、得られることって一体何だろう?
同じように被災者のために使うのならば、もうちょっと別のことに使えないだろうか?…と、土砂のピラミッドを思い出し、いまでも、ときどき考えてしまう。