3816 思い出ロンダリング
連休中、ほんのちょっとだけできたことがある。
それは、片づけ。
“大片づけ”でなく、あくまでも“ほんのちょっと”の片づけfだ。
量は少ないけど、これはこれで大きな意味を持っている。
自分の性格上、ついモノを取っておきたくなる。
理由は主に2つある。
「いざってときに…」
モノを取っておくときの、僕の決め台詞だ。
これがけっこうなボリュームになってしまうことが多い。
僕が大片づけといった場合と、対象は、主にこちらだ。
以前に比べれば、それも割り切れるようになってきたために、ずいぶんモノは減ってきた。
そして、捨てられない理由が、もうひとつ…
「思い出として…」
自分自身でも、はっきりとした判断が付けられないからだ。
「いざってときに」の場合、「そんなときなんて、ねーよ」と、自分にツッコミを入れれば解決する場合もあるが、思い出はそうはいかない。
この場合、仕方なく、そのまま残しておくことにしている。
そして、かなりの時間が経ったとき…
「あれ?これってなんで取っておいたんだっけ?」
…というのを期待する。
捨てたくない理由があったはずなのに、うまい具合に忘れていたり、多少覚えていても、思い出としての価値が小さくなっていたりするのを、時間を使って、じっと“寝かせる”のだ。
時間が経つことで、思い出のモノが、ただのモノに変化するのを待つ。
これって、マネーロンダリングならぬ、思い出ロンダリング?
連休中、ほんのちょっとでも片づけができたのは、大きな成果だったのだ。
「思い出ロンダリング成功」
もしかすると大事な思い出だったかもしれない。
でも、忘れてしまったのだから、その程度の思い出なのだ。
すぐにモノが増えてしまう僕には、これくらいの荒療治が必要だと思っている。
できるだけ、身軽になりたい。言うは易く行うは難し。