わが鐵路、長大なり 東急・五島慶太の生涯/北原 遼三郎
わが鐵路、長大なり 東急・五島慶太の生涯
北原 遼三郎
現代書館
もうずっと前から読んでいたのだけど、なかなか読み終わらなかった。
会社の同僚から借りていて特に締め切りがない上に、図書館で予約した本が次々とやってくるとか、350ページ強というボリュームだとか、理由はいろいろあるが、連休のあいにくの雨の日の午後を使ってようやく読み終えた。
彼は、東急グループの創業者として有名だが、最初から実業家を目指していたわけではないようだ。
とにかく、エピソードには、事欠かない。
現在の一橋大学を受験するが、英語で失敗してしまう。猛勉強の末、翌年、現在の筑波大学の、“英文科”へ進学し、しかも卒業後には高校の“英語教師”になっている。
英語で失敗した彼の負けず嫌いを象徴しているエピソードだ。
その後、現在の東京大学に転学、学費を稼ぐために家庭教師をした家が政治家で、その斡旋で、当時の農商務省の官僚となる。
課長心得という役職名が気に入らず、稟議書に書かれた心得の文字の上に、わざと認印を押して、「心得」が気に入らないということをアピールしたという。
結局、農商務省では出世できないと移った先が、鉄道院だった。
まざに、ここから鉄道との関わりが始まるわけで、鉄道との出会いは、偶然と言ってもいいくらいだ。まるで、何かに導かれているかのよう。
官僚の生活も飽きてしまった彼は、請われて、設立直後で資金集めに苦労していた小さな鉄道会社に就職する。
以降は、次々と企業買収を繰り返し、“強盗慶太”の異名を持ち、事業家として頭角を現すようになる。
本書は、タイトル通り、彼の生涯を詳細に追っている。
直接五島慶太は登場しないものの箱根山戦争や伊豆戦争などは、ドラマや映画のようだ。
映画…といえば、いまの東映は、東京映画配給、太泉映画、東横映画が合併して設立されたそうで、“東横映画”でわかるように、東急がその設立に大きく関わり、東映の経営危機が、五島慶太最大のピンチとなったという事実は、知らなかった。
ちなみに、東映のおなじみの社章(ロゴ)の三角形は、合併した、その3つの会社を表しているというのは、ちょっとしたとリビアだ。
三越買収を企みるも失敗、その後、白木屋買収(旧東急百貨店日本橋店)へつながっていく。
その白木屋買収では、もちろん、あの横井英樹が登場してくる。先日読んだ富士屋ホテルの話のときにも登場し興味深い。まさに黒幕…戦後の経済史を知るのが、なんだか楽しくなってきた。
話がそれた。
東映再建で右往左往しているときに検討されたのが、東急ターンパイク構想で、鉄道よりも低コストでできる高速道路を、渋谷から江ノ島まで作ろうとしたという。
しかし、第三京浜道路と競合するために道路計画は断念するが、代わりにできたのが田園都市線だった。そして、ターンパイク構想構想の一部が、箱根ターンパイクだった。
現存しているインフラの誕生の経緯を知ると楽しくなる。
そんな話を書いていると、本を一冊丸写ししてしまいかねないので、このへんにしておくが、最後に、へぇと思った話をひとつ。
五島慶太ではなく、ライバルの堤康次郎の話。
かつて堤康次郎は、品川駅前に野球場を作ろうとしたという。
野球場を作るためには、広大な土地が必要だ。そのため、周辺の宮家や旧華族の土地を次々と買収したものの、品川駅前にあった東久邇宮家の土地だけが京浜急行に渡ってしまい、球場構想は消えてしまうのだ。
結局、買収した北白川宮家の土地は、新高輪プリンスホテルへ、竹田宮家の土地は、高輪プリンスホテルへ、毛利家は品川プリンスホテルになった。
プリンスホテルが、品川駅前に集中しているのは、そういう理由があったからなのだ。
その、西武の堤康次郎とは、なにかにつけ対立していたが、五島慶太が活躍できたのは、彼の存在が大きい。
そして、もちろん、本人の努力や才能もあるが、明治、大正、昭和という激動の時代だったからこそ、ここまでのことができたという気もする。
本当におもしろい波瀾万丈の人生だった。
ドラマ化したらいいのに…と思ったが、東急グループは許さないだろうなぁ。