墜落遺体/飯塚 訓
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墜落遺体―御巣鷹山の日航機123便 飯塚 訓 講談社 1998-06 |
日航機墜落事故については、さまざまな立場から、さまざまな内容の本が出されている。
本書は、犠牲となった方々の遺体を受け入れる、身元確認班長の立場から、その壮絶な仕事を振り返っている。
事故現場から、運び込まれた遺体の状況から、検屍の方法など、ニュースなどではまず取り上げられないような話が数多く載っている。
今回読み始めたのは、先日読んだ本同様、ぶりさんの紹介によるものだった。
実はこの本が出された当初、本屋で立ち読みをした記憶がある。このときは、最初、正直言えば怖いもの見たさ…みたいなところがあった。
しかし、読み進めていくうちに、そんな気持ちは消え去った。
事故という、起こってしまった事実に、悲しくつらくとも受け止めようとする遺族ともに、なんとか力になりたいという警察、医療関係者などの思いが伝わってきた。
航空機事故による遺体の凄惨さは、本当に筆舌尽くし難い。
あまりにひどい遺体の損傷ぶりに、書かれている文章を読むだけでも、人によっては気分を悪くするかもしれない。
しかし、大切な家族を見つけ出し、一刻も早く家に連れて帰りたい…という、遺族の気持ちになって見てみると、不思議とそういった気分の悪さみたいなものは、まったく感じなかった。
もちろん、文章だけだから、実際はまた違った感覚になるかのもしれないが。
失態もあった。
遺留品である指輪を紛失してしまったことで、著者は、遺族から猛抗議を受ける。しかし、全身全霊で謝る姿に遺族は心を動かされ、結果的に指輪は見つからなかったものの、その遺族とは、いまでも交流が続いているという。
こうした失態は、大混乱のなかで睡眠不足の過労が原因の一端にあった。
休憩用に下に敷くダンボールで、どこの警察署のものか?と口論になったり、検屍している医師たちの異常な過労を見かねた医師役員が、「早く帰って」…と言ったら、医師たちは「そんなに早く帰りたかったら勝手に帰れ!」と言うなど、トラブルも絶えなかったようだ。
しかし、誰もが使命を全うするために一生懸命だったことは間違いない。
毎朝出勤前にトイレで号泣する歯科医師…
出勤3日目にこの仕事が続くなら辞めると男泣きした警官…
遺体が特定できないと説明する医師に、「なんでわからないんですか!」と泣き出したのは、遺族でなく警官であったり…
誰もが人生観や価値観が変わったという。それは当然だろう。
大きな事件や事故は、それに居合わせた人たちを変えてしまう。
「生きていることの重要さや責任みたいなものを感じた。いままでは自分が死ぬことについて真剣に考えたことはなかった」という関係者の言葉が印象に残った。
いま、まさに同様のことが被災地で起きているに違いない。複雑な気分だった。