3019 感動
先々週の北欧でのできごとや感じたことを、できるだけ迷惑を掛けないように留意しつつ、周囲の皆さんにお話をしている。
そのとき、いつも思うのは、自分の感動をどう伝えたらいいか?ということだ。 どうも、うまく伝わっていないような気がしてしまう。
北欧に行ってみようと思ったきっかけとなった「森の墓地(スコーグスシュルコゴーデン)」は、僕にとっては相当のインパクトを与えた場所だが、客観的に見たら、だだっ広い野原に大きな十字架が立つだけ…にも見えるわけだ。
20世紀以降作られた建築作品で初めて、世界文化遺産に指定されたという事実だって、これがいかにすごいことかを伝える手助けには、あまりなっていないように感じる。
感動を伝えるときは、相手に同じように感じてもらうよう配慮しなければならない。
最近のテレビの世界における、“感動の押しつけ”には辟易してしまう。 もっとも、最近のテレビにおける“感動の押しつけ”には、視聴者が慣れてきて、そのまま鵜呑みにする人は減ってきているとは思うが…
それにしても、海老蔵が新婦の小林麻央にルビーをプレゼントするためにルビーを探しにベトナムまで探しに行くというVTRは酷かった。
ノミ1本、たった数時間程度で、時間切れのギリギリの最後の最後に、大粒のルビーが見つかるなんて…
市川海老蔵と小林麻央との結婚披露宴で流された、あのとんでもないVTR。視聴者が感動するだろう…と思って、テレビ局の人たちがあれを作っていたとしたら…まさかね。
感動は感じてもらうものであって、与えるものではない…のかもしれない。